あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

2009年10月28日(水)・29日(木)もう一度ペナンを楽しむ/旅のおわり

小さな窓から差し込む朝陽。

そうそう、この頃はエアコンも有料でね。

おはようジョージタウン

あのビルの上には廟のようなものが。屋敷神様?土地公様?

眼下にはさすがTuneらしい建物。

遠くに海が見えた。

窓のひとつひとつに等身大の朝が。

チェックアウトし、荷物を預けて外へ。

ホテル隣は先日来たモール。

先日みんなでランチを食べたOLD TOWNに再び入った。

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アッサムラクサ・・・かな?違うか・・・?

(この頃妙に斜めに写真を撮っていた自分が中二病みたいで凄く恥ずかしい。)

周囲にHatinという通りが見当たらないけれど、可愛らしいモスクMasjid Jamek Jl. Hatin。

ショップハウスの並ぶ通りをただぶらぶら歩いていった。

あ、ここは以前Sさんが連れてきてくれたロティチャナイ屋さん。

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そしてこちらはナシミナン屋さん。ここも連れてきてもらった。

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さて、シティテルの近くからトライショーに乗って観光することにした。

Muntri St.の天后宮(海南寺院)。

道なりにずーっと行けばJl. Masjid Kapitan Kelingに突き当たり、そこにあるのは観音寺。

放生会

私たちのトライショー。(この頃はまだこんなに地味だったんだねぇ。)

Lebuh Kingの福徳祠 Thai Pak Koong Temple。

次にトライショーを降りたのはプラナカンマンション。ここで往時のプラナカンの豊かな暮らしを見学した。

吹き抜けの中庭。孫文の映画「Road to Dawn」はここで撮影されていた。お転婆娘アンジェリカ・リーがここで階下を覗き込んでいたのを覚えている。

こちらは使用人さんたちの食堂だそう。

コウモリ・・・?

トライショーじゃらんじゃらん再開。

おお~なかなか怖い。

カピタンクリンモスクのそば、アルメニアン通りとの交差点に佇む慈済宮。葉さんの同族会館Yap Kongsiの傍らにある。

Yap Kongsiの向かい側路地奥にある福徳正神廟。奥まっているから通りからは見えない。

カピタンクリンモスク。クリンKelingはマレー地域で広義のインド系を指す言葉のよう。金子光晴の「マレー蘭印紀行」でも「キリン族」として何度か出てくる単語。

このモスクは近づくほど全容の撮影が難しくなる。

道路を挟んで見えるのはスリマハマリアマン寺院。

シティテル方面に帰る。

ありがとうございまーす!

Sさんが半休を取って来てくれた。

ラストランチに連れてきてもらったのは海際のホーカー。

茶の湯煎セットが愛らしい、肉骨茶屋さん。

レタスの炒め物がどんなに美味しいかを知ったのはマレーシアだったな。

肉骨茶をもりもりいただいた。

コムターに連れてきてもらった。

ペランギンモール。お土産でも買ったのかな。

いよいよジョージタウンを離れる。

海際の史跡、コーンウォリス要塞。

港近くの時計塔。

この頃好きだったタレントのAznilさん。

税関は新しく造っていたところじゃなかったかな。もしくは改修。

ランカウイへのフェリーもここから出るのか。

この辺は先日来た同族桟橋の辺りだ。

ペナンブリッジが見える。

海とペナンブリッジが見晴らせる海岸に寄ってもらった。こういうところの存在は住んでいる人じゃないとわからないね。

名残のピサンゴレンを買ってもらった。

コーヒービーンで少しお茶をして、お別れ。

ペナン滞在が充実したものになったのはSさんのお陰でした。本当にありがとう。

出国。当時だいぶ殺風景だった制限区域。

私たちの翼。

搭乗。

今ググって知ったのだけれどシンガポール・ペナン間のシルクエアのフライトはこの2009年10月からスタートしていたらしい。)

機内食はミートパイ。

薄暮マレー半島を南下。

着陸して窓が曇る。

到着は18:50だったらしい。ここから深夜便待ちの長丁場。

シャトルでT3へ移動してきた。

ファシリティがどんどん追加されていたチャンギ。このバタフライガーデンも最近できたものだったはず。

入ってみたらむわっとした湿度。もう夜なので蝶たちは寝ていたけれど・・・。

金色に光っていたのは蛹だった。

うろうろ・・・。

23:45は遠い・・・。

フードコートに来た。

夜食開始。

名残のタイガー・・・。

チェンドル頼んだらドリンクタイプで出てきた。

ただでさえ寒すぎる空港内、これで体がますます冷えた。

バッチャン(肉粽)美味しい。

チャンギは(成田と違い)ネットは無料で使えていた。

(お、懐かしい画面が開いてあるな・・・。)

巨大なA380は特別な搭乗橋を使わねばならず、この頃B1-B4がA380専用だった。今はどうだろう、もうチャンギA380なんて乗ってないからわからないや。

ゲート4つの同居だけれどA380がそんなに飛んでいるわけもなく、すいていて快適。

搭乗。

復路は2階席だった。

2階席は窓際に手荷物入れがあった。

分厚い壁と遠い窓。

システム再起動とかで出発が少し遅れた。

KDとAnang夫妻のアルバムを聴く。(離婚しちゃったけど。)

出発してすぐ、軽食が出た。

夜明け。

5時頃、機内食。和食・・・ですかね。

ちょっとしたアメニティがエコノミーでも貰えるなんて。

ただいま、成田!

今でこそ見慣れたけれど、当時は本当に威容だった。

Hちゃんとお別れ。約1週間もの間どうもありがとう!

私はエアポートリムジンで羽田に向かう。

着きました。

(三宅島、この頃噴火していたんだなぁ・・・。)

時間まで展望デッキに行くも当然ながらANAしかいない。

まだ日本の航空会社にジャンボがあったあの頃。

今はどうかわからないけれど庄内便はいつも端っこのゲートだった。

搭乗。

庄内到着。お疲れ様でした。

■Flight:MI355 PEN-SIN / SQ638 SIN-NRT / ANA895 HND-SYO

PEN

NRT

2019.07.18作成