あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

台北ぶらぶらからの淡水河下り

2019年9月7日(土)・8日(日)

 

台北最後の朝。次にここで朝を迎えられるのはいつだろう。

 

土曜の朝。ホテル前に人通りはそんなにない。

8時半に外へ。チェックアウトの12時まで、この近辺をぶらぶらしようと思う。

地下街は通らず地上をMRT台北站まで。

飲食店の多かった横路地、懐寧街。この辺でも朝ごはんを食べてみたいものです。

さて、MRT。

保線区車両が紹介されている。

今日は紅線ではなく藍線にて。やってきたのは龍山寺站。

朝の萬華

久しぶりに来たなぁ、龍山寺

廟とはいえ私には大きすぎて、観光客もてんこ盛りだろうし行かなくてもいいかなとも思ったのだけれど、上書きもしておきたかった。それに、龍山寺周辺の風情が趣深いことに気づいておきながらあの時はそんな寄り道できなかったから。

わんわんやお年寄りがのんびりしているのは廟周辺の佇まいだけれど、龍山寺前は特に目立つ気がする。

龍山寺前には艋舺公園というお寺敷地よりも広い公園エリアがあって、そのどちらかの縁を通ってお寺に向かう。

とりあえず駅から向かって右手側の縁を歩く。

横路地、三水街。食堂多し。

廣州街。

まだ龍山寺へは行かず、そのまままっすぐ西昌街というところに入ったら、なんとも言えない落ち着く風情。

右手には艋舺地蔵王廟。

青草巷

左手には、「青草」と書いてあるお店がたくさん並んでいた。

特にこの「青草巷」は文字通り「青草」が溢れた屋根付きの細い路地だった。

漢方薬街とも違う緑さ、でも「ハーブ」と呼ぶとちょっとオシャレすぎてしっくり来ない、だからといって八百屋さんでもなく野菜市場でもない雰囲気、青々とした草がてんこ盛りの細い路地。薬効のある(ありそうな)青い葉物がこんなにもたくさんあるなんて。

青草巷

青草巷

青草店の前には青草茶を売る屋台がいくつかあって、その中の一軒で青草茶を買った。甘くしてあって飲みやすい。

通りの奥の方にはない。本当にこの一角だけだった。

青草巷

こういう一品集中主義の通りが好きで、日本でも道具街やらもんじゃストリートやら好きで巡っているので儲けもの。

龍山寺

安心して龍山寺へ。

2022.01.26追記龍山寺に来たのは2010年でした。

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観光地だ。

団体さんが多い。日本の学生らしき団体もいた。修学旅行にしては大きくて大学生っぽかった。研修旅行か何かかな。

門の中へ。

廟を囲む壁に沿ってたくさんの人が立ち並び何かを詠じていた。

満足し退出。

廟前の公園。

向こうが、さっき横目に通り過ぎた三水街。

お菓子屋さんがあった。

アンクークエ(紅亀粿)があるぞ!買うわけじゃないから近づいて写真撮る勇気なかったけど・・・。(東南アジアで見るものより一回り大きかった。)

アンクークエ(紅亀粿)

距離は短いけれど食堂の多い三水街。

新富市場(東三水市場)

この通り自体にも惹かれていたのにさらにその先にはアーケード市場があった。こりゃ嬉しい!

新富市場アンド東三水街市場というそうだ。

さっそく入るに決まってるじゃないですか。

ときどきお店が切れて横路地が見えると実に良い。

昔ながらの古早な市場のようでいて、ちゃんとイラストが描いてあったり。

どひゃー!美味しそう!

市場には美味しいが溢れる。

にゃんこは市場の花。

アーケード市場街を出たると昆明街に出た。奥の方、南寧路越しに見える街並みがショップハウス的で好ましい。

昆明街もまた、好ましい。

レンガの壁に、植物。

目の前に味わい深い雑居ビル。

2023.10.02追記このビルは頭が切れているが、後年無事再撮影できた。この辺り界隈も少し歩いている。

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もう一度、市場を引き返す。

この八百屋さんは賑わっていたなぁ。

このお父さんはタブレットで日本語のカラオケを練習していた。(誰の歌だったかなぁ。女性の演歌だったんだけど、忘れてしまった。)

お店が切れたところから、横路地。

この路地の口にあったのは日式お寿司屋さんだった。

「鶴寿司」というお店。看板の古さに、長く続いている感。

ショーケースの後ろではお母さんが太巻きを作っていた。

また、横路地。

そんな横路地の一本を歩いていってみたら、大通りに出た。

剝皮寮歷史街區

大通りの廣州街。ショップハウスにも似た軒廊(騎楼)のある建物が美しく並んでいた。

目の前にはなんだか年季が入った建物。

剝皮寮歷史街區

こんな街並みは右手にも続いている。

剝皮寮歷史街區

康定路と昆明街に挟まれた一角が歴史的エリアだったようだ。

剝皮寮歷史街區

剝皮寮歷史街區

広い軒廊がある。原始ショップハウスといった趣。

剝皮寮歷史街區

剝皮寮歷史街區

草も根を下ろして・・・。

ここは剝皮寮歷史街區という歴史保存地区だそう。

こういうキャラを置いちゃうのが台湾ね。(しかもなんとなく小丸子オマージュ。)

康定路173巷という路地が真ん中を走りタイムスリップ感。

これはいいですね・・・。

展示館のような建物があり入ってみると、さっき歩いた新富市場のミニチュアが展示されていた。

それも、実在のお店が再現されている。

さっき見たぞこのお店、というのもあった。

ではまた市場に戻りましょう。

横路地の横路地。

ランタンがいっぱい、廟かな?と思ったけれど祠も兼ねた集会所のようで中ではおとっさんたちが何かボードゲームに興じていた。

市場に復帰。

三水街を駅へ戻る。

駅の構内に下りていく前に交差点の向こう、内山公路沿いに見えた廟。台湾は廟の宝石箱やぁ~!

廟前の通りには「熱海」の看板が。

龍山寺站構内、また可愛らしい・・・。

西門界隈

一駅お隣、西門站下車。

駅の構内にパネルが。

日本統治時代の名残か・・・西本願寺の臺灣別院。

これも日系の百貨店だったらしい、菊元百貨店。

日本統治を肯定・正当化するわけではないけれど、歴史の一つとして記憶に留めてくれている台湾の人々の未来志向に感謝するのでした。

西門といえば西門紅楼。

西門紅楼

紅楼前から見る西門は現代的繁華街。

台北天后宮とお向かいの「南美珈琲」

成都路を歩くと、店舗の間に挟まった台北天后宮。

道路を渡って行ってみる。広い通りだけれど手前の両脇の交差点のお陰でふっと車が途切れる瞬間があった。

以前も一度入ったことがある。やっとじっくり見られる。

間口は狭かったけれど中は広い。

台北天后宮

天上聖母さま。

台北天后宮

この時は本堂内に大勢の女性たちがいて、日本でいう御詠歌のような歌が詠じられていた。

そうそう、前回来た時も、頭上を埋める美しいランタンたちがとても印象的だった。

ランタンと、御詠歌のような経文。美しい。

弘法大師・・・!?日本全国至る所に足跡のあるお大師さん、台湾にも。

横の碑文にも「弘法寺」や「日本」など日本統治時代のゆかりが窺える。

ここにもいらした弘法大師様。

統治が終わって戦犯として葬られるのではなくこうして引き続き祀られていることに、また台湾の人々への感謝の念が浮かぶのでした。

KO BO DAI SHI。

お地蔵様もいる・・・道教の天后宮に仏教の地蔵尊とは・・・。

聚宝炉(でいいのかな?)があった。

美しい刺繍。廟會で使うのかな?

天后宮を出たら向かいにいい感じのカフェが2軒並んでいた。

その向かって右手の南美珈琲で休んだ。(多分左手の方が人気の老舗だったっぽいけど、こちらのお店も混んでいた。)

一休みして歩き出す。

漢中街で見かけた日本食屋さん。

長沙街二段沿いにあった味わい深い集合住宅。

その建物の前辺りから横路地の奥に見えた廟。

廟の宝石箱やぁ~な台湾だけれどこの頃はちょっと足が痛かったので無理はしなかった。とはいえ昨晩買ったシューズのお陰でだいぶ歩けるようになっていたんだけど。(暑かったってのもある。)

でもこうして写真を振り返るとやっぱり近くまで行って見ておきたかったと心残りが蘇る。

「鍋の物」。西寧南路という通りを南下する。

台北法華寺というお寺があった。日本の墓石で見慣れた南無妙法蓮華経の字体。

台北法華寺

百度石。とても日本。

法華宗のお寺、とのことだ。

その近くにこんなカフェが。(閉まっていたけれど。)

妙に懐かしい街並み。台湾なのに、どうもこの西門・萬華あたりは日本の気配が他より感じられる気がする。

2023.10.02追記よく見たらあの看板跡には「百事可楽」の文字が見える

百事可楽 ペプシコーラ

「西門」という地域の名前も日本統治時代のものらしい。

海外の街では地元らしいスーパーに入り、ごく普通の日常を垣間見るのが楽しいのだけれど、どうも一昨日から自分の行く先々や泊まっているエリアではそんなスーパーに出会えなかった。

カルフール

・・・「いらっしゃいませ」が内側に貼ってあるけどいいのか・・・。

でもここも特に台湾らしい食材がたくさんある、というわけではなかった。台湾は外食が非常に盛んだというし、食材が欲しければ街々のお店の方が豊富かもしれない。

少しだけあるにはあるけれど持って帰れないなぁ。

こうなるともう完全な土産物だし。

でもこの牛軋糖たち、ほんと美味しいしハマる。パイナップルケーキより私はこっちだなぁ。塩味クラッカーにほの甘いミルクのヌガーってのがいい。

特に買いたいものも見つからず外へ出る。

西門站に行くにはまた西寧南路を戻らねばならないのだけれどそれではちょっと寂しいのでわざと横路地に入り込む。

「美而美」の三明治

といってもまた大通りに戻ってきてしまうのだけれど、ふと目に入った「美而美」。

店先でパテや卵を焼いてくれる三明治屋さんは街のあちこちで見るけれどこれまで入ったことはなかった。

中でもよく見るお店、「美而美」。

一度食べてみたかった・・・。

出来合いが並んでおらず何が挟まっているかわからなくて、「総」の文字に決め打ちでこれにした。

ちなみに2つで1セットとのことで40ドルだった。

いろんなものが焼かれ始めた。

奥ではもう一人のお母さんがキュウリを切ってくれている。

お店の坊やがおままごとセットの野菜を切っている。

ハンバーガーを作りおばあちゃん(かな?お若いが)に持っていくのだけれど・・・。

ちゃんと代金を請求していて微笑まし過ぎた。

というわけで出来上がり。

うっま!なんだこのパテ!!

西門から台北車站付近まで(中山堂・台湾省城隍廟)

サンドウィッチ屋さんの先で交差する長沙街二段。

西本願寺跡。

台北西本願寺跡

Wikipedia先生によれば戦後は廃寺となっていたそうで、さらには1975年に焼失してしまったらしい。

でもここは台北市によって、史跡として整備・保存されている。

復元された鐘楼。

ではまた大通りに戻りましょう。

路地や建物を眺めながら。

西門站近くで。「口渇了嗎?」と訊かれた上に「來一杯純蜂蜜」、おまけに今流行りのタピオカ!と色めきたったら閉まってた。

説明板読んだんだけれど、詳細忘れちゃったな。ググると「意在台北」という作品らしい。座っているのは清朝末期に台湾の責任者だった劉銘傳という人らしい。立っているのは建築家。都市計画の図らしい。(でもコーヒーショップの紙カップみたいなの持ってる。)

この像についてググって見つけられる日本語の情報はほとんどが右端の2人の銅像について。今どきの若者風カップルがセルフィー撮ってる像。

西門站の上、大きな交差点。

中山堂から台湾省城隍廟へ

交差点を渡り西門站を越えて、行ってみたのは中山堂。

中山堂前は広場になっている。

お隣の建物は警察局だそう。

・・・「抗日戦争勝利」と書いてある。どんなに日本人に優しく日本人に親しんでくれていたとしても、東・東南アジアの華人の方々の記憶や心の奥底にあるかもしれない「日本人」というものをいつも思う。

中山堂から永綏街という短い横路地を歩き博愛路へ。

派手な外観のお店があった。

あら、可愛い。4Fにはカラオケ教室か?

新光三越の方角へ。

あらあら、赤いランタンの素敵な通りに出ましたよ。

武昌街一段という通りだった。

ブレたけど、美味しそうな総菜屋さん。

途中、市場のような横路地。

そして道路の反対側には市場が口を開けていた。

「城中市場」というらしい。

今回はちょっと先を急いでいたので入らなかった。また次回、ぜひ歩きたい。

さらに先へ進む。

廟がある。

台湾省城隍廟というそうだ。

ここも参拝客が多い。

もうすぐ11時半。チェックアウトは12時だ。

ちょっと横を覗けば愛らしい横路地。

さて、部屋に戻るとすぐに「あと30分ですよ」と電話が来たのでもうまとめておいた荷物を持ってチェックアウトした。

ずいぶん歩いた直後だったので少し休むことにした。ホテルのはす向かいにあった「GOLDFEE」というカフェ。

カプチーノ

さて足も休まり外へ。台北車站前から遠くに見えるのはかつての台北府城の北門。

と、その北門を眺めている時左側の建物に見覚えのある文字。

「三代」・・・以前西門站前にあったこのお店で初めて魯肉飯を食べてその美味しさに感動したことを思い出した・・・。

しかし先を急ぐ。もう台北で過ごせる時間はあと半日だ。

家族連れフレンドリーの車両だったらしい。

迪化街

橘線の大橋頭站で下車。

地上に出たら頭上を高速も走る賑やかな大通りだった。

でも一歩入ると静かな裏通り。

延平北路二段247巷という通りは市場通りだった。

今地図を見返しても市場の文字は見当たらない。

延平北路に出て小学校脇を歩いていくと古い病院に出くわした。

そこで左折し涼州街。

横路地。

廟の気配がする。

地図にもあるのに見つからない。

甘州街という路地に入る。

やっと大稲埕慈聖宮天上聖母というその廟の屋根が見えた。入り口はどこだったんだろう?

またその先に、廟の気配。

その前に、ミッションスクールの気配。

行列のできるお店。どこに入っても大抵美味しい台湾で行列ってどんだけ美味しいのかと思う。

その先に、牌楼。

この時もう右手に行けば迪化街が広がっていたんだな。

でも私は廟を見に行くことにした。ランタンも続いているし。

普願宮という廟だった。

普段から黄色い旗を並べているんだろうか。でも門前がド派手だし、廟會があるのかな。

ここでようやく右手に進路を変えた。

個性的なあなたのバンダイ

この通りはずっと普願宮の参道のようでずっとランタンが続いていた。

道路を渡って歸綏街へ。

騎楼ににゃんこ。

乾物屋さんが多くなってきた。迪化街に近づいている。

漢方薬屋さんではネズミを捕ってくれる猫は大事にされてるって以前岩合さんのネコ歩きで聞いた。

この子の写真を撮っていたらお店の人が名前を呼んだ。「~チャン」って呼んでた。確かユキチャンだったと思う。

迪化街一段に到着。本当はもっと北から続いていたようだったけれど、迪化街の真ん中に横っ腹から入った形になった。次回は全部歩いてみたいね。

迪化街一段を南下。

日本でもこんなレトロ見ないぞってくらいレトロな日本の商品。

迪化街

カラーわんこ。

猫も犬も大事にされているね。

騎楼(亭仔脚)完備のレトロな街並み。

ただよう漢方薬の香り。このお店でKさんリクエストの四神湯の素を見つけた。

合勝堂という建物には「雙城故事」というドラマのゆかりの品々が飾ってあったらしい、多分。違うのかな。

その隣にオリンパスプラザ。開いてなかった。

結構車も通る路地だけれどときどき渡って外側から建物を眺めてみる。

嗚呼猫様そんなところに。

猫様にカメラを向ける私をお店の奥様がニコニコと見守ってくれていた。

猫様のお店のはす向かいには、台北霞海城隍廟という廟。

その向こうにある建物は大稻埕戲苑というらしい。

その辺りをもって迪化街は終わるようだった。なんとなく南の方に雨雲が。遠雷も聴こえて慌てる。でもちょっと休めるようなカフェがすぐ近くには見当たらなかった。

迪化街一段46巷という横路地には「こっちにもこんな建物があるよ」という案内があった。

行ってみようか。

ギャラリーやカフェがちらほらとあった。

横路地を覗きながら。

この先で大通りの西寧北路に出た。

西寧北路の横路地。奥に高架が見える。あの向こうは淡水河のはずだ。

貴徳街という細い路地、こっちは左手側。

右手側。こっちに行ってみる。

路地裏の雰囲気を存分に吸い込みながら。

緑が根差した建物大好物です。

貴徳街はやがて大きな交差点に突き当たって終わった。

民生西路。

ひと際大通りの環河北路一段。その向こうには淡水河が。

行ってみた。

大稻埕碼頭廣場という公園になっていた。

唐山帆船造景というオブジェ。

大稻埕碼頭廣場

この目がついたような船。淡水の漁船も目がついていたな。

19世紀末頃と書いてあった。

空が広い・・・歩き疲れたし、しばしここで休もう。

何か、ツアーかな。

淡水河下り

チケット売り場があるんだよなぁ・・・。

近づいてみたら、1日1便の淡水河下りのチケット売り場だった。出発は毎日午後3時。今午後2時・・・。

買った。

あと1時間あるのでベンチに座って足を休めた。

雨雲が近づいてきていて少し心配。

きれいなカナブンがいた。

上流はもう降ってる。

1時間座りっぱなしもなんなので少し周辺を歩いた。

水門脇の橋の上から廟が見えた。地図を見ると「天水宮」。廟の前ではカラオケに興じる人々が見えた。

おおまかに、流域地図。

さっきチケットを買ったボックス。3時近くになっても頑なに開かない。

乗るのはあの船なのはわかってる。

さっき廟を眺めた橋。

旅客機が着陸していく。松山機場かな。

 

こりゃ降るかな・・・。

ようやく乗船時刻になった。

一番前の席に座った。

ガイドさんというか車掌さん的な女性が案内をしてくれた。救命胴衣の着け方もしっかりと。

出航。

最初にくぐったのは台北橋。

地図で位置を確認しながら。

一番前の席は窓も狭いしそもそも窓も水垢的なので汚れているしでちょっと後悔。

こちらは高速道路の橋。立派。

お次は重陽大橋。

この時乗客がぞろぞろと外に出始めた。やった!私もすかさずついていく。窮屈な船室にはおさらば。

やっぱり船は風に吹かれながら乗るに限る。

なんともレトロな船。

一日一便の貴重な船旅だってのに全然混んでないのがまた良い。

淡水河台北市新北市の境目だそうで、左手に見える光景はずーっと新北市

一方右手は台北市

振り返るとさっきの重陽大橋。広大な河なのに意外に橋が少なくて驚く。

台北市側。

遠くに台北101が見えた。

川岸に白鷺たち。

あの山はなんだろう、方角的には北投か陽明山か。

まだ見えてる台北101

目の前に素朴な水門。

でもバンコクや大阪と違って水郷って感じはあんまりしないね台北は。

小さな椅子に、植木鉢?

今この辺。

なんやろねあのタワーは。

地図によれば摘星樓星月旋轉餐廳という展望レストランらしい。手前の船着き場の風情がいいね。

まだ見えてる重陽大橋と台北101。飛行機も降りるよ。

向かう先は晴れている。雨雲に追いつかれないうちに下り切ろう。

新北市側。

工場のような建物の合間に見えた廟の屋根。

もうあれ、八里の山じゃないかな。淡水対岸の。

この船の照明、街灯みたい。

あの岬の先で基隆河が合流してくるらしい。岬の突端には社子島島頭公園という公園があるようだ。

河がカーブしてやっと次の橋が見えた。關渡大橋、MRTからも淡水からも見える赤い橋。

基隆河との合流地点。

大きな廟が見える。

水上スキー

水上スキーの人は基隆河に入っていった。見えている橋は基隆河の橋。

關渡自然公園という緑地が広がっていた。

今ここ。

あの遊歩道の向こうには漁船溜まりの關渡漁港があるらしい。さっきから見えている小山のような廟はまんま關渡宮。

打ち棄てられたような観光船が・・・。

次機会があれば来てみたいな、關渡漁港。

關渡宮、大きい。

關渡宮

關渡大橋。

八里の奥の山。

MRTの線路が見える。

雨雲エリアも抜けたみたい。

なんのブイだろう。

漁船や釣り船もちらほら見えてきた。

淡水の建物群も見えている。

八里側は逆光。

 

フェリーとも結構すれ違う。案外航路多いみたい。

淡水側と八里側を結ぶ送電線。鉄塔マニア歓喜

ほんのちょっと進路を右に。淡水へ向けて。

釣り人。

あの船、傘さしとる。

淡水站が見えます。

生き物の影。

台北(というかここはギリギリ新北市だけど)にもこんな荒っぽい光景がまだ残っていたんだ・・・。

犬たちが群れている。

環河道路沿いの賑わい。

淡水の碼頭に到着。1時間半の気持ちの良い船旅でした。

二日前は冷たい雨だった淡水、帰る前に晴れの淡水に会えて良かった。

二日前と違って、河岸にはたくさんの観光客たち。

私たちを乗せてきた決して豪華ではない船は離岸していった。

淡水散策

船着き場からすぐだった淡水福佑宮。

そこからしばし中正路を歩く。

猫が子供たちにじゃれついていた。私も触りたい!!

さすがにここに闖入する勇気はなかった。

少し待っていたら猫は子供たちのそばを離れた。

なんか路地の奥が気になっているらしい。

気にならなくなったらしい。

一昨日は阿給を食べたので、今日は魚丸湯を食べよう。

魯肉飯もつけちゃった。

美味しいです。

あっさりスープ魚丸。

中にはしっかり味がついた挽き肉の餡。

魚丸湯に満足し、再び河岸に戻ってきた。

河口の方にクレーンが。意外に工業港があるのかな。

幸海宮。

大勢の人が行き交う環河道路。

こんな金炉あったんだ。

シャボン玉が飛んできた。

和衷宮。廟の前では屋台の準備。

この前にも立派な金炉があるね・・・建造中?

台北の雨雲は辛うじて淡水には届かなかったようだ。八里の山は雨が降っているようだけれど。

一旦淡水站まで来た。

現金が心細くなり、キャッシュカードで引き出せるかなと思ったけれど結局できず少しだけキャッシングをした。思えば日本のキャッシュカードでWithdrawできたこと、今まであったっけ?タイのキャッシュカードは国外でも使えて便利だった。

駅前のモールに入って、お手洗いを借りた。

もう一度河岸へ。

この交差点がよく分からなかった。二輪の人だけが従わなければならないサブ信号機があるみたいだった。

河岸に戻ると、何やら人垣。

雑貨パーカッションの女の子。

淡水河口の夕焼け

日が暮れてきた。

そういえば淡水の夕陽、有名だったね。

夕陽鑑賞に集う人々。歩き疲れた私は手前のベンチで控えめに。

素敵なご夫婦!!奥様が手でハート型作って、ご主人がその間に夕陽を入れて撮影中。

私の両親くらいかちょっと上くらいの世代とお見受けしたけれど、微笑ましくて思わず笑顔になった。

夕陽はいよいよ美しくて、控えめに下がっていた私もフェンスまで来て日没を待った。

最後は雲に沈んでいった。

そして最後にまたちょっとだけ姿を見せた。

さらば、淡水の夕陽。

暮れてしまった・・・。

八里老街は灯ともし頃。

八里との間を結ぶ渡船。

この男性がね、なんだか行動が謎だったんですよ・・・。40代くらいで、ランニングにスケボー、大音量で音楽を流しながら、ぶつかりそうになりながら人混みをすり抜けていく・・・道行く人たちに怪訝な目を向けられていた。目立ちたがり屋なのかなんなのか。

日が暮れてしまい、辺りはあっという間に暗くなる。

振り向けば淡水老街もすっかり灯ともし頃。

和衷宮の屋根が美しい。

ひと眺めして帰ろう。

和衷宮の隣の細い路地にある、一昨日も前を通りかかったクラフトビール屋さんに入った。

ドラフトのハニービールを所望。

ドラフトもさることながら、並べてある瓶にびっくり。

雨水とか大寒とか、二十四節気ビールがあるらしい。

あっちにも香檸とか崇健とかまた美麗な名前のビールが並んでいる。(でもこのシリーズはググってもサイトがなくなっていて確認できなかった。)

ベンチャーな香り。お店のマスター(らしき人)も若かった。

素敵なビールたちもいくつかon handされていたけれど、これから台北に帰らねばならないし、一杯でやめておいた。心残りだ。預け入れ荷物できるなら買って帰りたかったな。

公明街から中正路へとそぞろ歩く。途中お土産に鐡蛋などを買ったりもした。

中正路に出る。

Mackay先生の細い路地。

デフォルメ馬偕先生。外国人ながら祖国の偉人として親しまれているのかな。

もう一度環河道路。

いつかまた渡りたい、八里。意外にも山の中腹まで明るいんだな。

土曜の夜。人々のんびり。芝生で円くなっている人たちもいる。

試食したら最後断れない雰囲気に持ってかれたお店。

カラマリは美味しかったけどちょっと重すぎた。

臭豆腐!食べなきゃ!(使命感)

うわっくっさ!!!(旨)

酢漬けの野菜も相俟ってたまらない臭さが鼻に抜けるけれど、やっぱり味は美味しい。

さらば淡水。私は台北へ帰るよ・・・。

始発駅なのだけれどホーム両方に交互に入線するらしく、だからといって次は何番線などという表示も放送もないし、なんとなく周囲の空気を読んで並んでいた。

座った途端爆睡してしまって、台北車站到着。站前地下街をちょっと歩いたけれどここはあんまりお土産屋さんらしきものはない。

「三代」の魯肉飯

思い立ってここへ来た。お昼に見かけた魯肉飯屋さん!

お店のお母さんはニコリともせず絶対に譲歩しない姿勢で中国語でいろいろ言われたけれど、私のカタカナ発音の魯肉飯と湯菜はなんとか通じたようだった。

「三代」という魚翅・肉焿・魯肉飯のお店。

やっぱり美味しい!!!これです!この魯肉飯が好きです!!

青菜もどんなのが出てくるかと思ったけれどニンニクたっぷりでなんたってタレが美味しい。

はぁ、満足した・・・。

泊まっていたお宿のあたりをぶらぶらし、ついに日本でもなかなか飲まないタピオカドリンクを飲むことにした。

烏龍ミルクティー。この「50嵐」というスタンドは台湾じゅうでほんとよく見る。初めて挑戦できて満足。

美しい台北車站。

でも立派な街路樹に阻まれて近づくと全容が見えない。

駅の入り口、気になったこと。段ボールハウス。どこの国にもある現実。

旅のおわり

午後9時過ぎ、少し早いけれど桃園捷運の台北站へ向かう。

乗車。当然のことながら途中駅で下車する人にとっては日常の通勤の足。

ぶら下げてある紅茶。

車内が明るいしガラスの質なのか車内がめっちゃきれいに反射して、外はよく見えなかった。

どこかの駅で。高層ビル。

機場が近くなると空港利用の案内が流れた。

チェックイン。

このタイプの搭乗券が出るとレシート型よりはやっぱりちょっと嬉しい。

出国。さらば台湾・・・。

お土産さんで惹かれた可愛いマグネット。全部欲しい。

自販機で余った小銭を少し遣うことにした。また来ると思うけどね。

2021.08.05追記

コロナ禍で予定は未定になってしまった・・・。

黒松沙士、まだ飲んだことはないけれどルートビア系の味とは聞いたことがあった。初黒松沙士でまさかのポップコーン味を試してしまった。

本当に香ばしいポップコーン風味のルートビアだった。

通路に台湾の風景のパネル。なんて美しいんだろう。

礼拝所も揃っております。

地下へ追い遣られる。

23時頃。背後は関西弁でざわざわしてる。

どうせ夜だしと通路側の席で日本へ。

関空到着、午前3時半。

イミグレもすんなり、預け入れ荷物もないし4時前にはターミナルを出てしまう。リムジンバスの始発は6時。バスが出る国内線ターミナルで待つことにした。

2時間は暇過ぎる・・・国内線側で入ったセブンイレブンで磯田先生の新書を2冊。おもしろくて捗る。

日本のコンビニってほんと楽しい。

空港職員さんが大挙して出勤してくる様子も見た。

やっと朝。バス乗り場に移動する。

朝陽が眩しいなぁぁ。

深夜便の後は毎回きっちり後悔するのに、いざ旅の予約の段になるとやっぱりコスパの良さで取ってしまう・・・。

お疲れ様でした。

バスの乗客は3人だけ・・・運休にならないことを祈ります。しかもこれまで全然眠くなかったのにバスに乗ったら途端に眠くなり毎朝のスマホの目覚ましが鳴っていることにも気づかず。皆さん(2名)ごめんなさい。その2名も寝てたけど。

■Flight:MM030 TPE-KIX

2021.08.05追記

あれからもうすぐ2年・・・まさかの世界的な不幸で、2020年2月に予約した上海便は強制キャンセル、負けじと予約した香港便も強制キャンセル、さらに負けじと予約した高雄便は悪化するコロナ禍下の感情に配慮しNo Showで捨て・・・2003年に初めて国外の地を踏んで以来、イミグレを抜けていない年月が最長になってしまいました。疫病退散!また自由に旅ができる世界が戻りますように。

 

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