あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

2013年9月21日(土)【バトゥパハ】レンタカーでジョホール州北上

週末が来た。逃げるようにJBへ。

Jambu Air(ワックスアップルまたはローズアップル)を買って歩き食い。

今日はSegget’s Cornerは素通り。

去年の旅行のために取った国際免許が今月末で切れるのが気になっていた。Googleマップで検索すると、ギャラリア@コタラヤの向かいに「Mayflower Car Rental」というレンタカー会社があるようだった。

飛び込んで、車を借りることにした。応対もフレンドリーで、とても親切なスタッフだった。

聞いたことないウォーターサーバーだな・・・。

借りたのはプロドゥアPeroduaのMyvi。

行くあてもないけれど、とりあえず南北ハイウェイを北上してみることにする。

ただひたすら、KLの表示を目当てに走る。

高速の料金所に行く前に、その手前にあった管理事務所のようなところでTouch&Goのカードを買った。

行けるところまで行ってみる。

走りやすいったらありゃしない。楽しい、楽しすぎる。もっと早く走りに来るんだった。

1時間半も走ったろうか。MachapというところでSA(Kawasan Rehat)があったので、寄る。

この週末の相棒。

フードコートでランチにした。

ハエがね・・・。

さすがサービスエリア。シガーソケットチャージャーを発見、購入。

またしばらく走り・・・大好きな街バトゥパハの最寄り出口244番を後ろ髪を引かれながらやり過ごす。

スガマッSegamatとヨンペンYong Pengもやり過ごす。

ところが、もう一度バトゥパハの表示が出てきてもうその誘惑に抗えなかった。

無事離脱。

高速を降りたら、適当に西に向かって走った。もうこうなったら、これまで三度ほど訪ねたバトゥパハBatu Pahatにまた行くしかない。

金子光晴の「マレー蘭印紀行」の舞台、金子光晴がこよなく愛した街。

いくつかの田舎町を抜けた。

赤い土埃の田舎道。

道端でランブータンを売るご夫婦がいた。

買った。(蟻が結構ついてて大変だった。)

なんだか、お濠のようなせせらぎに囲まれた地区に迷い込んだ。

「スリメダン」・・・「マレー蘭印紀行」にもその名が登場する鉄山の裾野だ。

「シンパン・キリ」という川の標識も見えた。この名もまた「マレー蘭印紀行」に登場する地名。

でも今となってはここがどこだったかもうわからない。24号線(Jl. Yong Peng)から一度脇道に逸れた、その時。

この先曲がるとバトゥパハ。

トンカンペチャ、この地名も「マレー蘭印紀行」で見た。

これまでバスでバトゥパハだけを訪ねていた時には通り得なかった場所にどんどん遭遇する。車で来て良かったと思った。

午後2時半過ぎ、迂回してきたわりには思いのほか早くバトゥパハに着いてしまった・・・他の街に向かうことも可能ながら、やはり大好きな街バトゥパハを久々に歩いてみたいと思ってしまった。

馬来半島ジョホール州、バトパハ(Batu Pahat 峇株吧轄)へ。正午、シンガポールをバスで出発し、ジョホール・バルを経て、午後五時ちかく、灼けた丘陵を幾跳躍、水ちかい空の放たれたにぎやかさのなかに、あがってゆくしゃぼん玉のようなバトパハの街をのぞむ。
マレー蘭印紀行 (中公文庫)

バスターミナル近くのガーデンホテルに投宿。ここに泊まるのも三度目。

ずいぶん老朽化してしまっていて少し寂しい思いがした。

でも窓から見る風景は、7年前に初めて訪れた時のままだ。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

さて、すぐに外出。駐車場に猫がいた。

人懐っこくてどこまでもついてこようとして参った。

まだ陽も高い。バトゥパハ川を越え、海沿いに少しだけ5号線を北上してみることにした。

うわ、このモスク色は違うけど昔も写真撮ったかも・・・。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

Sungai Gelaniというカンポンの学校。

浄業寺という大きな寺院。

こうして1時間ほど走り、河口と海の街ムアMuarへ。

ムア川沿いの税関。

あてもなく走るためうっかり川を渡ってしまったり。

中心部から郊外へと彷徨った。

どうやら紛れ込んだのはParit Bungaというカンポン。

川を渡って引き返す。

友達にムアに行ったらSup Kambing(ラムスープ)がマストと言われていたので探したが見つからず。もしくは開いておらず。

十分走ったので引き返すことにした。

猿がゴミあさり。

牛さんもいる。

屋台に立ち寄る。

凄い色。

また1時間ほど走りバトゥパハに戻って来た。

ここに来るといつもそうするように、夕方は部屋から外を眺めていた。

これまで一度も、あの森の向こうへ行ったことがないことを思い出した。あの向こうは海なはず。

走る。

鉱山を越える。銅か鉄か。

不法投棄された産廃(魚介)をあさる犬たちという暴力的光景を通り過ぎる。

華人墓地。

そして、静かな入り江に辿り着いた。パンタイ・ミニャッ・ベク Pantai Minyak Beku。「凍った油の海岸」・・・この地名にはどんな由来があるんだろう。

あまりに平和な風景に涙が出そうになった。

石切りをする親子。

満足して市街地に帰る。

ホテル前のマレー系ホーカー。

ホテル前のマレー系ホーカー。

少し歩いて、華人系ホーカー。

こちらはめっちゃ賑わっている。

でも結局、裏通りの静かな屋台に来てしまった。

陽気な兄さんの屋台で、さっきムアでありつけなかったSup Kambingをオーダーした。

半分ほど食べたら熱いのを注ぎ足してくれた。

ぶらぶらしながら宿へ帰る。

ショップハウスの1階でお店の家族が食事をしている風景を見ると、決まってこの一節を思い出す。

すがすがしい水浴の肌に、糊のつよいシャツをきかえ、黄塗の支那下駄のゴム鼻緒を足指につっかけて、屈托もなく熱帯の夕ぐれの街をそぞろ歩くのはたのしい。すでに軒廊に円卓をもちだして、支那の商家の一家族が晩食をはじめている。主人も、小僧も一律に、一つの、皿の菜をつゝき、一つの湯の丼に箸をしずめる。
マレー蘭印紀行 (中公文庫)

ホテルでは珍しくマッサージに挑戦した。何種類かのサウナ、フリーフードにドリンクもついて確かRM80とかそんな。べらぼうに安かった。サウナのロッカールームが日本の日帰り温泉の脱衣所みたいで、何を勘違いしたかうっかりそこで脱いでしまうところだった。ハッと気づいて、すんでのところで男性客とのご対面は避けられた。

暗い部屋で華人のおばちゃんが背中に立つというなかなかなマッサージだった。

ロビー脇のレストランは改装されてこぎれいになっていた。

もうシンガポールは忘れた。長い長い、充実した一日だった。

■Stay:ガーデンホテル Garden Hotel Batu Pahat

■Books

詩人の脳と心のフィルターを通して見る約100年前のマレー半島南部とシンガポールは、その鮮やかな色彩や湿った空気が伝わってくるようです。バトゥパハを訪れれば、金子光晴が見た街が今でもそこに残っていることを知ることができるでしょう。

マレー蘭印紀行 (中公文庫)

西ひがし (中公文庫)