あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

2009年2月26日(木)【マレーシア】バトゥパハに癒される

爽やかに晴れた朝。でも体調は万全ではない。

見下ろすと、食堂の準備。

外に出てホテル周辺を歩く。

整った商店街はまだ目覚めていない。

部屋に戻り身支度をし、チェックアウトした。

あの突き当たりからJl. Dato Seng Leongへ。

橋を渡ったあの建物にバスターミナルがあるらしい。

Mengkibol川というらしい。

爽やかな高い空に気分も体調も上がってくるようだった。

栄養過多そうな濁った川。小魚がたくさんいた。

埃っぽいバスターミナルに到着。

体調が思わしくないため大事をとってここからまっすぐシンガポールに行こうかとも思っていた。でもやっぱりバトゥパハに行きたい気持ちには抗い難い。

この頃はバスターミナルの雑踏の中でしばし茫然としていることが多かった気がする。ホテルを先に予約しているわけではなかったので自由度が高過ぎて、次の行き先をなかなかビシっと決断できなかった。

ローカルバスのローカルさっぷりに圧倒されていた。

これはバトゥパハへ行くローカルバス。

こんなバスに乗れたら絶対に楽しいのに、この頃は勇気がなくて乗れなかった。経由地や目的地がこんなにはっきり書いてあるバスなんてそれこそ乗っていれば着くのにね。

(この頃から約10年、スマホのみならずGoogleマップの進化のお陰でどこでもバスに乗れるようになってしまった。隔世の感。)

結局Orchid Expressでバトゥパハまで行くことにした。

このバスは以前もバトゥパハからマラッカへ行く時に乗ったことがある。

T(umpat) Dudukに20と書いてあるけれど、この手のバスでまともに座席番号が護られていることはなかったなぁ。混んでいるとそうでもなかったけれど。

私は律儀に守っていた。

確かSitiのVCDが流されていたと思う。

エアコン効き過ぎ。

出発。

もう一本別の橋を渡ってJl. Sultanahへ。バスターミナルのある建物が後方に。

線路を渡ってクルアン市街地はおしまい。

このロータリーを越えれば通りの名前はJl. Batu Pahat。

クルアンとバトゥパハの中間くらい。

南北ハイウェイを越えた。

このモスクはParit Rajaの街のはずれというか入り口にあったMasjid Sabak Uni。ショベルカーがいて、ドームの脇に作業員さんがいるのが見える。

どうやらその後ドームは外され改築されたみたいだ。

Parit Raja中心街の商業エリア。

Parit Rajaには富士通の工場がある。

できたばっかりぽかったTun Hussein Onn大学。

大学そばにはこれまた新しそうな商業地域が開かれていた。

Parit Rajaの次は「マレー蘭印紀行」にも出てくるスリガディン。工業団地にはシャープがある。

建設中か改修中か、廟。

見つけた、ここだ。このレストランの隣。まだ地図には名前がないけれどストビューを見ると「駕雲殿」と書いてある。

BPモールはバトゥパハの入り口。

そして見えてくるMasjid Jamek Sultan Ismail。

後年レンタカーでこのモスクに近づいてみたらだいぶ古さが目立って少し寂しい思いがしたものだった。

このセブンイレブンが見えればバスターミナルはもうすぐ。

到着し、今夜の投宿先を確保。

今回もやはり前回と同じガーデンホテルバトゥパハ(花園酒店)。

部屋空いてた。1泊RM100ほど。

3年ぶりにここへ来てひとつの大きな変化・・・お向かいの廃映画館が雑貨屋さんになっていたこと。

シャンデリア取り替え中だった。

相変わらず古めかしい部屋・・・。

さあ、いよいよカーテンを開ける!!

ああ、この光景に再会できた・・・!

旧日本人クラブの建物の鐘楼もお変わりなく。バトゥパハ川もちらっと見える。

3年前は黄色だった建物がすっかり青になっていた。

川の向こうの緑は金子光晴が来た時代から変わらないようだ。

採掘跡を晒すあの山肌も同じ。

では、街へ出てみよう。

スマホなんてなかった頃・・・地図や行きたいお店の情報をプリントアウトして持ってきていた。

今ふと思い立って参考にさせてもらったこのブログ「83000 Batu Pahat」さんを覗いたら、なんと2017年にデータが消えてしまったんだそう・・・。バトゥパハの街の隅々まで、小さなお店まで紹介されていたブログだったと記憶している。残念で堪りません。

金子光晴は訪問当時この街を「新開の街」と表現していて、広い通りを碁盤の目のような区画割で、鉱山や水運で栄えた街を計画的に発展させた様子が窺える。そしてバトゥパハはその後姿をほとんど変えることなく残ったようだ。

この交差点を渡りJl. Jenangをまっすぐ。

 

Jl. Rahmatにぶつかる。

Jl. Rahmatを川の方へ。味のある面構えの建物。(今ストビュー見たら真っ黄色に塗られてしまっていた。)

その先のショップハウスも実に味わい深い。

川沿いのJl. Shahbandarに出た。

左手に見えてくる、旧日本人クラブの建物。

Jl. Engan。

ここには朝市が立つ。

ここが目指していたチェンドル屋さん。

当時RM1だった。

このモスクで曲がり、Jl. Idrusをホテル方面へ戻る。

緑に飲み込まれていきそうな建物。今もあるだろうか・・・。

その後なぜかKFCに入った。

まさかWiFiを捕まえに・・・?ホテルにはなかったんだろうか。

バスターミナルのあるビル。

ホテル隣のヒンドゥー寺院。

ホテルに戻ってきた。

ホテルの向かいにはムスリム系のホーカーがある。午後3時過ぎの中途半端な時間のため閑散としている。(後年来た時、夜もすいていたけれど・・・。)

キャロットススとロジャックにした。

これが甘辛で本当に美味しかった。

お決まりの夕方の雨に部屋に引きこもり、窓から雨に煙る街を眺めていた。

洗い物の桶、3年前と変わらない。

お向かいの屋上は3年前より荒れていた。

雨が上がって、午後7時半でもまだ明るいマレーシア。

テレビではNARUTO

夕飯を求めてホテル前のJl. Jenang。

結局角のこのお店にしたんだったんじゃないかな。

とても薄味だったミースプ。

ホテル向かいのムスリムホーカーと、旧オデオンの雑貨屋さん。

もう8時には部屋に引っ込み、金子光晴の文章を読んで孤独に浸った。

■Stay:ガーデンホテル Garden Hotel Batu Pahat

■Books

詩人の脳と心のフィルターを通して見る約100年前のマレー半島南部とシンガポールは、その鮮やかな色彩や湿った空気が伝わってくるようです。バトゥパハを訪れれば、金子光晴が見た街が今でもそこに残っていることを知ることができるでしょう。

マレー蘭印紀行 (中公文庫)

西ひがし (中公文庫)

2019.07.10作成