2008年3月5日(水)
- コタバル朝ごはん(ロティトゥロー)
- コタバル空港へ
- コタバルじゃらんじゃらん
- コタバルセントラルマーケット再び
- カンポン・クラフタンガン Kampung Kelaftangan
- 王室の建物、ロイヤルタウンな風景
- バスでトゥンパッを目指す
- トゥンパッ駅で夜行列車を待つ
- マレー鉄道夜行寝台列車
- マレー鉄道で南下開始
コタバル朝ごはん(ロティトゥロー)
まだ明けきらぬ中。
Y君と待ち合わせて朝食に出た。
ふわふわなロティチャナイのお店。
このグレイビーが4種類あるのが、なんだかタイっぽい・・・。
ロティトゥロー(卵)!
ごちそうさまでした。
コタバル空港へ
すっかり明るい。
Y君を見送って空港まで。
なんでバスの中に貝殻が・・・。(しじみみたいな。)
空港到着。
バスから降ろされたのは空港前の大通りを渡ってちょっと距離のあるところ。
こぢんまりした地方空港。正式名称はスルタン・イスマイル・プトラ空港 Sultan Ismail Petra Airport。
今回Y君はFireflyのスバン経由でペナンまで帰るそうだ。
この時確かファストフード店で話し掛けられて、ランタウパンジャンかどこかの若者と話をしたんだった。日本語を少し勉強していた子だったような記憶。
Y君の飛行機を見送る。
離陸。またねー!
コタバルじゃらんじゃらん
というわけでまた1人になった。市街地に帰りたいけれどバスがなかなか来ない。
おじぎ草を突っついて遊ぶ。
タクシーの運転手さんはいっぱいいるんだけどな・・・。
たっぷり30分待ってようやく乗れた。
バスターミナルに戻れた。
さて、ここからじゃらんじゃらんsendiri (alone)。
コタバルセントラルマーケット再び
まずは、昨日も行ったコタバルセントラルマーケット(Pasar Siti Khadijah)。
繰り返しになるが、選挙の旗に埋め尽くされたマーケットにがっかりする勿れ。これも4年に一度の一期一会な風景。
このマーケットはあのフォトジェニックなドームだけではない。
魚市場もあった。
外に出た。
トライショーがいる。
カンポン・クラフタンガン Kampung Kelaftangan
まずはKampung Kelaftangan、「手工芸品の村」的な。
マレーシア各地の伝統家屋を再現したらしい小さなお店がまずお出迎え。手前のお店にKaraokeって書いてあるような・・・。
こちらはペナン島。
トレンガヌ。
ジョホール家屋はフットマッサージ屋さん。
ケダ州。
ヌグリスンビラン州。
プルリス。
サラワク。
マラッカ。
ペラ。
・・・抜粋すりゃいいのにありったけ貼ってしまった。(しかもなんだか撮り方が不自然。上部に何かあったのかな。)
そしてハンディクラフト博物館の本体はこちら。
でも外観だけ見て満足。先を急ぐのだ。
王室の建物、ロイヤルタウンな風景
イスタナ・バライ・ブサールIstana Balai Besarの大きな門扉。
Bank Pitis脇を通る。奥に見えるはLHDN(Lembaga Hasil Dalam Negeri)。
重厚な建物が多く残るロイヤルエリア。
ここはKota Sultan Ismail Petra。DAULAT TUANKU。
Daulat TuankuはLong Live the Kingの意味。スルタンのおわします各州のロイヤルタウンで頻繁に見かける標語。日本語でいえばさしずめ「弥栄」ですかね。
イスタナ・ジャハールIstana Jahar。
現在は「Museum of Royal Traditions and Customs of Kelantan」という王室の博物館だそう。
あちらに見えるはMasjid Muhammadi。
そして、独立広場(Padang Merdeka)。
独立広場脇のイスラム博物館Muzium Islam。
そして、戦争博物館(Wordl WarⅡ Memorial/Kerapu Bank)。敬意を表し、中に入る。撮影はしていない。
旧日本軍はここコタバルの地からマレー半島に上陸してシンガポールまで南進していった。それも12月8日、あの真珠湾攻撃よりも早く戦争の火蓋が切られていた場所ということで、展示物は旧日本軍のものがほとんどだった。
庭にも戦跡の展示があった。
少し歩いたら、川が見える。
広い広いクランタン川。マレーシアのどこの川とも同じ、森の土壌を集めコピスス色。
警備船かな?国境もそう遠くはないお国柄。
私はマレーシアを旅する時はいつもどこでも川のほとりに立っていることが多い気がする。
先ほども通ったMasjid Muhammadi。
あれ、クロックタワーが一緒にあるって珍しい・・・敷地内にあるように見えるんだけど。
マニフェストを拾った。
Muzium Diraja Istana Batu。
トライショーが走っていく。
コタバルキャットに遭遇。
屋台でキャロット・ススとチェンドルを買った。この屋台のお母さんが優しかった思い出がある。
飲みながら宿のPCでネットサーフィン。これからの行程を調べたりしていた。
キャロット・スス。
こちらはチェンドル。
バスでトゥンパッを目指す
さっきスーパーでお土産に買ったロッキーRocky。パッキングして、いよいよ出発。
かつて、「ポーク」に似た発音を避けたなど諸説あったグリコのれっきとした純正品「ロッキー」。現在はPockeyなので、Rockey時代は遠いおとぎ話になりました。
夕方近いバスターミナルへ。
トゥンパッ駅へ行くバスを探して、これにした。
出発。無事に着けるかドキドキしていた。
クランタン川を渡る。さらばコタバル・・・。
コタバル近郊の車窓。
この頃はGoogleマップなんてなかったし、本当に心細かった・・・。
だから、どこを通ったかはもう全然わからない。ただ、コタバルを発車してからここで既に1時間。あの時の緊張を思い出すなあ・・・このカンポンで折り返した記憶がある。おぼろげながら、ここはバスの行き先表示にもあったSri 7(Tujuh)というエリアだったような記憶がある。看板か何かを見たのかな。
Sri Tujuhの方がトゥンパッより遠い。というか、トゥンパッまでは1時間もかからない。乗るバス間違えたのかも。
あ、前日トゥンパッへ行く途中に見たこの交差点に戻ってきてほっとしたのを思い出した。
トゥンパッの街に入ったのはコタバル出発から1時間半後。絶対乗るバス間違えた。
トゥンパッ駅で夜行列車を待つ
そして、遂に到着トゥンパッ駅。
マレー鉄道あるある、駅前には何もない。
元々ゴム等の輸送のために敷かれた線路なため、人里離れたところを通るようです。
遂に来たなぁ、マレー鉄道の北の果て。
空が高い。
トゥンパッが黄昏る。
カウンターは閉まっていた。でも私は寝台車のEチケット既に持っている。(マレー鉄道は進んでいたなぁ。タイ国鉄はやっと今年からだよ、オンライン予約が可能になったの。)
手持ち無沙汰。だいたい、暗くなる前に移動したかっただけで、出発は20:15だ。
機関車や客車を眺めたり。
駅舎内の食堂で夕飯にした。多分、ミーゴレンだと思うけれど・・・なんか違うな。すごくさっぱりしていた。
そして、脇にある4つの調味料がなんともタイ的。タイを感じる。
マレー鉄道夜行寝台列車
どういう案内だったか忘れたけれど、乗車時間が近づきホームへ出た。今夜乗り込むのはEkspres Timuran号。イースタンエクスプレスとでも訳しましょうか。
ホームの先まで行ってみた。
乗車。憧れのマレー鉄道寝台車!
もう最初から寝台になっていた。
あ、よく見ると背もたれもある。座席にもなるんだな。
もちろん下段。清潔なシーツがピンと張られている。
なんかこれ、昔子供向けの列車の本のブルートレインのページで見た気がする。読書灯。
こちら上段。ちょっとだけお値段が安いけれど、寝心地はどうかなぁ・・・。
ちょっと車内探検に。こちらは寝台じゃない車両。
食堂車もあった。
トイレもチェック。和式・・・!?(通常のマレーシアのしゃがみ式トイレとは違う形状。)
木製便座・・・?後付け?
マレー鉄道で南下開始
さあ、いよいよ出発。
(夜風を感じる安定のドア全開。)
Eチケットを出して、車掌さんの検札に備える。(この時はパスポートも見せて身分証明した。)
そうそうこの時この棚みたいな部分に前の乗客のゴミであろう豆の殻みたいなのが残っていたんだよなぁ。
確かさっきバスで通り過ぎてきたWakaf Bharu駅。
あの頃ガイドブック(ロンプラかな?)だと、よりコタバルに近いこのワカバル駅から乗るといいということが書いてあった気がする。でも私は始発駅にこだわる。
ワカバルからもお客さん乗車。
横になって、休むことにした。
Pasir Mas駅。ここを最後に、就寝。
飛行機や夜行バスではまったく眠れない私、今回もワクワクして眠れないかと思ったけれど、フラットベッドって素晴らしい。爆睡しました。
■Stay:Ekspres Timuran 15 Tumpat-Singapore
(2017.05.21作成)
関連カテゴリー
関連記事