あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

マレー鉄道でシンガポールへ/旅のおわり

2008年3月6日(木)・7日(金)

マレー鉄道寝台列車で朝を迎える

目が覚めたのは朝6時、ここはグマス駅だったかスガマッ駅だったか・・・。

東海岸線、通称ジャングルトレインに乗れるのを楽しみにしていたのに、全行程爆睡してしまった。仕方ないね、寝心地良かったから。

ゴムや錫を運搬するのが目的で敷かれた鉄道なので、大部分人里から遠い。

車窓にはパームやしのプランテーション

パームヤシのプランテーション

集落や市街地が見えると嬉しい。

ジョホール州の中でも大きな街のひとつ、クルアンに到着。

クルアン駅

マレー鉄道の車窓、クルアンあたり

マレー鉄道の車窓、クルアンあたり

お、華人小学校だ。

相変わらず全開のドア。日本では経験できないことだから楽しい。

マレー鉄道のドア全開ラン

外は雨になった。

食堂車に行くことにした。連結部分怖い。

マレー鉄道連結部分

ペプシ

マレー鉄道食堂車

オーダーしたのはナシゴレン。マレー鉄道の食堂車で食事できるヨロコビ。

マレー鉄道食堂車でナシゴレン

クライ駅で通過待ち(長)

8:40頃、クライ駅到着。行き違い待ちでそのまま1時間近く動かなかった。

クライ駅

クライ駅

車両は乗降が終わると一旦バックし、隣の待避線に入り直した。

クライ駅

大通りが遠くに。

クライ駅

下車する人がちらほら。

クライ駅

バラストを間近に見る。

マレー鉄道のバラスト

マレー鉄道

恐る恐る線路に降りてみる。日本ではなかなかこんな体験できない。ばっちいだろうけどね・・・。

マレー鉄道、線路に降りてみる

低い姿勢の撮影チャレンジ。

対向列車が来てまたドアから顔を出した。

清掃スタッフさんの女性が何事か挨拶をくれた。

さて、私たちも出発。駅と駅との間隔は長いけれど、もうJBは次の次。

クライ駅

雨に打たれながら、手旗信号の駅員さん。

マレー鉄道のポイント

何を造っているんだろう。

2024.04.09追記

Googleストビューを見ると新クライ駅ができていたが、こんな形状ではない・・・。頓挫した?

クライ駅が遠ざかっていった。

発車してもしばらくはドアから外を眺めた。

マレー鉄道

ジョホール州郊外はあちこち大規模開発。

ジョホール州

ジョホール州

2024.04.09追記

当時もわからないまま、その後もわからないままで放置してしまったが、この支線?は何だったのだろう。今地図を見てももう探せない。

日本では撮れない構図。

JBの一つ前、クンパスバル駅。

クンパス・バルKempas Baru駅

貨物列車が停まっていた。

大きな街に滑り込む。いよいよジョホールバル

イミグレの審査官が乗車し、パスポートコントロール。この時だったかなぁ、向かいの寝台の女性に話し掛けられたのは。

シンガポール到着

列車は雨のコーズウェイを渡る。

コーズウェイ

コーズウェイ

コーズウェイを渡ってすぐ、ウッドランズでは列車を降りてパスポートコントロール

そして今は無きシンガポール駅到着。ちょうどお昼頃だったみたいです。

旧シンガポール駅

隣にあのE&Oエクスプレスがいた。

E&Oオリエンタル

はるばるバンコクを目指す。

私たちを引っ張ってきてくれた機関車が手を振りながら去っていった。

旧シンガポール駅

ビラを渡されたと思ったら・・・ああ、この頃指名手配されていたね。

乗客みんな渡された。

ちょうどE&Oも出発していった。

旅番組かな?リポーターがカメラに向かって何か喋った後のようだった。

シンガポールだけど、ここはなんだかマレーシア、な駅構内食堂。

旧シンガポール駅ホーム

2020.06.22追記

こんな立派なドームを構えた中央駅が今はもうないなんて、本当にもったいない・・・。

旧シンガポール駅

発着少なっ!

(今はウッドランズからシャトル便があるようですが。)

旧シンガポール駅時刻表

名残惜しく写真を撮りまくった。

誇らしげE&Oのプレート。

まずはチャンギ空港

外へ出てMRTタンジョンパガー駅を探す。

2024.04.09追記

よく見たらここはCantonment Rdだ。かつてこの通りで暮らした1年間があったんだ・・・。ケッペル埠頭が近いから、トレーラーも走っていたね。

先進国らしいAD。

ようやく探し当てたタンジョンパガー駅。

2024.04.09追記

かつてこの駅を最寄りとしていた1年間があった。今でもタンジョンパガーは自分にとって特別な街です。

MRTのシングルトリップ切符。

シンガポールのMRTは構内も車内も飲食禁止。

緑線、タナメラ駅で乗り換える。

チャンギ国際空港到着、ここは3タミ。

帰国便のT1へ移動。

OH、ノースウエスト航空

いくらだったか忘れたが、荷物を預かってもらう。

MRTに乗るためにT3に戻り、シンガポールに来たら外せないとばかりにWang Cafeでカヤトーストを食べた模様。

このカップとソーサー!

素晴らしい練乳。

素晴らしい警告。

クラークキー界隈

再びMRT乗車。

シンガポールには旅の最後のほんの数時間しかいないのに、重たい「地球の歩き方」をなぜ持ち歩いた自分・・・。

どこをどう行ったんだろう?ラッフルズプレイス駅で降りたのかな。Outram Park駅で紫線に乗り換えてクラークキーなんて器用なことはしてないだろうと思われる。

ボートキー、クラークキーの辺り。

当時から、この光景が好きだったな・・・。

マリーナベイ目指して歩く。

ラッフルズプレイスの摩天楼。

遠足かな?

マリーナベイとシンガポールリバー遊覧

この光景が好き過ぎて、(確か)16ドルもする遊覧ボートに乗ってしまった。

エスプラネードに接近。

うわー今でも大好きだよ、マーライオン!!

マーライオン

ただただ見惚れていたこの風景の中で暮らせた1年間は宝物だ。私が働いていたビルも見える。

マーライオン海上から見るのが良いね。

MBFC辺りもまだこんな感じでスカスカだ。

だいたいマリーナベイサンズがこれなんだから!

マリーナベイサンズ建設開始の頃

遠くに見えるシンガポールフライヤー。

シンガポールリバーを遡上。ボートキーのショップハウス群。

クラークキーら辺で折り返す。奥のカラフルな建物はヒルストリートの警察署。

Riverside Point。

議事堂。

こっちはなんだっけ、博物館?

ゴミをすくう方々のボート。こうしてシンガポールの美観は守られる。(の割には水が綺麗ではないが・・・。)

レースコースロードの中国寺院

さて、この辺で携帯のバッテリーがだんだん心もとなくなってきている。あの頃はモバイルバッテリーなんてなかったし、そもそもGSM携帯もデジカメもUSBで充電なんかできなかった。

多分クラークキーから頑張って紫線でファーラーパーク駅へ来たと思われる。Race Course Rdは「西ひがし」の中で、金子光晴がたまに居候させてもらっていた南洋日日新聞の長尾さんという編集長の家があるところだった。

Race Course Rd

金子光晴ゆかりの場所も歩きたかったし、またこの通りにいくつかあるお寺も見て回りたかった。

少し古めのショップハウスも残る。

これはSakya Muni Buddha Gaya Temple恒仏寺。ガイドブックには「千燈寺院」と書いてある。

Sakya Muni Buddha Gaya Temple恒仏寺

このお堂の中に大仏様がいる。あれ、もしかして別々のお寺?それとも本堂と大仏堂?

Sakya Muni Buddha Gaya Temple恒仏寺

虎と豹がいるのを見ると、タイガーバームの胡文虎・胡文豹兄弟を連想する。(金子光晴の作品でも当時の東南アジア華僑の成功者としてたまに紹介されている。)

このお寺の向かいのショップハウスは4軒のうち1軒がまるっと寺院で、真っ赤に塗られて愛くるしい。

ショップハウス

関帝廟だった。

でもこの小さなショップハウスは、2013年に気づいた時にはもうCity Loftというコンドになっていた・・・関帝廟はどこへ行ってしまたんだろう。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

このすぐ隣にあるのはLeong San Temple龍山寺

Leong San Temple龍山寺

Leong San Temple龍山寺

中国の南部を感じさせる屋根。

Leong San Temple龍山寺

ショップハウスに、寺院の残る通り。いつまでもこんな姿を留めて欲しいけれど、そうも行かないだろうな・・・。

ショップハウス

シンガポールキャットが寄って来た。にゃーん。

インドハッカたちはキュルキュルと鳴く。

インドハッカ

セラングーンロード

セラングーンロードSerangoon Rdに戻ってきた。

Sri Srinivasa Perumal Temple。

Sri Srinivasa Perumal Temple

Sri Srinivasa Perumal Temple

Sri Srinivasa Perumal Temple

Sri Srinivasa Perumal Temple

すぐ近くにアングリアモスクMasjid Angullia。

アングリアモスクMasjid Angullia

リトルインディアでミールスを食す

Syed Alwi Rdはこの辺りでもリトルインディア色が強いエリア。

Syed Alwi Rd

この時ムスタファセンター前を通っていたんだなぁ。この頃はまだ知らなかった。

知ったとしても入る勇気がなかったかもしれない。住んでみて、ちょっと民族色が強くて密度が高いだけで、お手頃で品揃えが豊富過ぎるドンキ風ショッピングセンターと知った。

ムスタファセンター

参考記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

ジャランブサールJalan Besarまで来た。目の前の建物に「New World Centre」とある。

私はここは金子光晴の「マレー蘭印紀行」に登場する「新世界」ではないかと思っている。

新世界
シンガポール支那街繁華地、ジャラン・ブッサルの大通りにルナ・パーク式民衆娯楽場がある。「新世界」と名づける。 新世界を巡る一劃の地域は、瞥見するだけでも国ちがいの風俗の変化が目をたのしませるし、また、しばらくくらしてみるのもおもしろい。
マレー蘭印紀行 (中公文庫)

ジャランブサールを歩き、どこからかまたセラングーンロードへ戻ったんだと思う。

ホーカーの柱に天官賜福の神台。

Sri Veeramakaliamman Temple。

Sri Veeramakaliamman Temple

多分Buffalo Rdを歩いて・・・

レースコースロード近くの路地をうろついていたんだと思う。

Shree Lakshminarayan Temple。

Shree Lakshminarayan Temple

空港へ帰る前に思い切ってインド系レストランというか食堂に入ってみた。

SAAWARIYA RESTAURANT

SAAWARIYA RESTAURANT。

料理の名前も注文の仕方もわからなかったけれど、無事南インド系の庶民的なミールスが出てきて嬉しかった。

そしてとても美味しかったことを覚えている。

旅のおわり

ちゃんと乗り換えて緑線に戻れたらしい。これタナメラ駅かな?

早目に空港へ戻った。疲れていたのかなぁ。

2020.06.22追記

そういえばデジカメのバッテリーも危うかったんだ。

Coffee Beanだと思う。ミルクティー

チェックインが始まるのは早朝4時頃。長い戦いだ・・・。

深夜1時頃、高くて美味しくもないできあいのサンドイッチとタイガービール。

寒くて大変だった。

コンデジ、バッテリーがなくなったらどんどん画像が黄色くなっていった。

4時半頃、出国。

無駄にフットマッサージ機なんか使ってみるけど、衛生的にどうなのこれ。

機内で早速出される機内食、オムレツ。

オヤスミナサイ。お疲れ様でした・・・。疲れ切っていたのか早朝の軽食の写真がなかった。

■Flight:NW6 SIN-NRT

■Books

詩人の脳と心のフィルターを通して見る約100年前のマレー半島南部とシンガポールは、その鮮やかな色彩や湿った空気が伝わってくるようです。

マレー蘭印紀行 (中公文庫)

西ひがし (中公文庫)

(2017.05.25作成)