2007年6月6日(水)
朝。
なんでこの番組をキャプったんだろう・・・。
爽やかなタイピンの朝。内陸部の高地の街の爽やかな湿っぽさ。
この時手持ちのRMが少なかったのか、両替所が探せず銀行の整理券(番号札)を取っていた。でもあまりに待つようで諦めている。
朝食に、ホテル前のホーカーへ行きナシルマを頼んだ。
部屋に戻ってテレビをつけるとTV3で日本の戦隊モノが流れた。
瀬川亮君。
荷物をまとめ、チェックアウトしはす向かいのローカルバスターミナルへ。
見つけた、クアラカンサーKuala Kangsar行き。わーぼろいなあ。
クアラカンサーは漢字だと「江沙(カンサー)」なんだな。
今まで長距離バスで結構綺麗で豪華なバスに慣れていたのでびっくりするもワクワクする。
車掌さんから買った切符、クアラカンサーまでたったRM3・・・。(今はいくらになっているかなあ。)
お昼前にタイピンを離れる。
結構山がちなところを行く。バスがうなる。
石灰岩の多いペラ州らしい山塊が続く。手前もこれまた石灰岩エリアらしさを感じるセメント工場。
停留所もたくさん通ったと思う(確か)。
クアラカンサーの街に入る。
クアラカンサーのバスターミナルへは1時間ちょっとで到着した。
「Lonely Planet」から周辺地図のページを切り取って持ってきていたのだけれど、最初に目当てにしていたホテルが探せない。少し遠いけれど「ルマレハッRumah Rehat(Rest House) Kuala Kangsar」へ行こうと思ったが、結構歩いていって満室だと困るので電話で予約した。これまでまともに英語で話したことなんかなかったので、この時は必死ゆえの火事場の馬鹿力だったのかなぁ・・・。(今でも電話の英語は苦手。)
宿はブキッチャンダンBukit Chandanという丘の上にあった。確かタクシーで行ったはず。
部屋は古いなりにかわいらしくまとまっていた。
でも1階の部屋なので常にカーテンを閉めていなければならなかった。
どういうわけかドアに穴が開いていたりして、目隠しのティッシュが・・・。
ルマレハッはこんな風に高台にある。
宿からはペラ川が望める。
対岸にカンポンが見える。
ルマレハッのさらに上の方へ、丘を登ってみた。
民家もあった。
そして、到着!ウブディアモスクMasjid Ubudiah・・・正統派玉ネギ型ドームの美しいモスク!
モスクの傍らはムスリム墓地だった。
今度はさっきタクシーで通り過ぎてしまったところを歩こうと、丘を下る。
オオトカゲ発見。
逃げていった。
川岸に下りてみた。
山間部にしては悠々流れるペラ川。
と、ここで猛烈な腹痛に襲われる!宿からあまり離れていなくてよかった・・・しばらくトイレとお友達に。これまで旅をしてきて、お腹がゆるくなることはあったような気がするけれど、強烈な下痢はこの時が初めてだった。
ロビー。
川岸リベンジ。
大きな橋が架かっている。
ルマレハッが丘の上に見える。またお腹が痛くなるかもしれないと思うとあまり離れられない。
川岸にはホーカーや、クラフトの市場があった。
川を離れ、大通りのJl. Daeng Seliliへ出た。
ランドマーク的クロックタワー。
向こうのセブンイレブンで水分を確保。
それからクロックタワー近くの郵便局に入り切手を買って絵葉書を出し、そのまた近くのママッ(インド系)の食堂に入る。
トーセイを初めて食べた。
行き交う人々をぼんやりと眺める。
ペラ川に注ぎ込むカンサー川。まさにクアラ(河口や川の合流点の意)カンサー。
対岸のカンポンが見える。
渡し舟がやってきた。
乗らないわけにはいかない。
右からルマレハッとウブディアモスク、左奥はなんだろう。
対岸はKg. Sayong Lembahというカンポンだった。
羊がいた。近づくとなんとなく逃げていった。
村の奥まで入り込む勇気は当時は持ち合わせていなかったので、そのまま引き返した。
暑いよね。
部屋に戻ると毎夕方恒例のスコールが来たので部屋で休み、雨上がりに外に出た。
暗い中を外に出て行く勇気も当時は持ち合わせていなかったので、宿のレストランで済ませることにした。
お腹の調子にも自信がなかったので、野菜スープで済ませた。
街灯に集まる羽虫と、それを狙うチチャッ(ヤモリ)。
明日もまた移動。やっぱりこの日も早く寝た。
■Stay:Rumah Rehat Kuala Kangsar
(2016.06.19作成)
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