当時住んでいた北国の街から新幹線で上京。
雪がない関東はいいなぁ・・・。
というわけで、中略して成田1タミに到着しました。
デルタにチェックイン。
Nちゃんとの旅再びである。
こちら南ウィング。
すっかり台湾づいているワタシ、ランチは今までのジャイタイではなくこちらも嬉しい、「唐朝刀削麺」。
【2023.02.06追記】Nちゃんも台湾好きだからね。
深夜便、まだまだ時間はある。
出国し、搭乗口へ。
今回はそれぞれ別の便でシンガポール入りする。
私はデルタの群れの中へ。
NW時代から変わらぬ搭乗率の高さよ。
ブランケットの色。
デルタプレッツェルが配られた。
ノース時代から機齢が高いと有名なデルタ、テーブルが半壊していた。
チャンギに到着しました。
あの頃、旅は(しょっちゅう)ここから始まっていた・・・。
荷物よ早く出て来い。
先に到着していたNちゃんと無事合流。外へ。
チェックインしたのはHOTEL 81 Classic。ゲイラン・ロードとJoo Chiat Rdの交差点にあり、パヤレバー駅にも近くて立地は最高だった。この頃許容できるお値段でトイレシャワーつきのお部屋に泊まれるなんてもうあまり残っていなかったし。
外観もショップハウス風でなるほどクラシック。
ただ内装はもう古く、ほとんどが窓のない部屋で、しかも場所柄やや風紀もよろしくない。
でも今夜のようにただトランジットで寝るだけなら良し。
湿気た部屋を後に、深夜だというのに外に出る。もう1時半だぞ・・・元気だなぁ2人とも。
外観だけはステキなHotel 81 Classic。
Joo Chiat Rdはカトンを代表するショップハウス通り。でもこの時は初ゲイラン・カトンで深夜だったし位置関係をよく把握していなかったな。
ホテルの同じブロックの裏手にHotel 81 Tristarというホテルもあり、1階はホーカーになっていた。
こんな深夜にも関わらず果物屋さんは開いていた。
席は一部片づけられていたけれど。
ヌードル屋さん。
私はワンタンミードライ。
Nちゃんはフィッシュボールスープ麺。
テタレッ。
かわいいガチャガチャm&m。
名前はゲイランロードだけれど、いわゆるゲイランはもう少し先。
ホテルに戻ったのは2時。おやすみなさい。
7時頃チェックアウトして外へ。シンガポールの朝陽は遅い。
昨夜(さっき)食べたホーカーは24時間営業。
この頃パヤレバー駅とゲイラン・ロードの間は空き地と公園だった。
今はここにもいろいろ建ってしまったけれど。
MRTの高架下に沿って歩き、パヤレバー駅。
こんな広々とした空間があったんだなぁ。
まだ朝早い駅は閑散としている。7時じゃ日本だと十分通勤時間帯だけれど狭いシンガポールなら7時はまだ起床の時間だ。
一時期日本のUSIMでローミングができるような仕組みがあったと思う。(もちろん通話だけ。)いつも使っているガラケーからauのUSIMを抜いて旅用のGSM携帯に入れている図。どうせ通話しかできない端末。現地SIMを買わなくていい時期があった。
StarHubをローミングしている。
チャンギへ向かう。
もう二度目だから迷わない。バジェットターミナルへのシャトルバス乗り場へ。
1年弱ぶりのバジェットターミナル。
今日はここから、タイガーエア。
スムーズに出国し、制限区域内のフードコートで朝ごはん。
私はナシルマ。
(変わった飲み物飲んでるな・・・。)
ゲート前にはもう今日の翼がいた。
相変わらずハリボテ感なバジェットターミナル。
搭乗。
Nちゃんは速やかに寝ていた。
初めて乗ったエアラインなので興味深く見ている。
到着、降機。
KLIAの今は無きLCCT。このチャンギ・バジェットT以上の突貫感が良かったなぁ。(現在の関空2タミを見るたびにLCCTを懐かしく思い出す。)
今は立派なKLIA2が取って代わり、隔世の感。
カルーセルまで来ると・・・なんじゃこりゃ。
ちょ、ちょっとぉ・・・。(苦笑)
エアポートライナーなるシャトルバス。LCCTとKLIAの間を結んでいた。
でもEXITを出てすぐの人がごちゃごちゃしていた辺りではKLに行くとかKLIAに行くとか白タクの客引きが結構いて、すぐそこのKLIAに行くだけなのにとんでもない金額を言ってきた人もいてびっくりした。
外も突貫工事感あったLCCT。
バス乗り場は建物の端っこにあった。
ローミングもCELCOMに変わっている。
隣のターミナルとはいえ滑走路を大きく迂回するので15分以上かかる。
KLIAに到着。
KLIAにバスで来るのは初めてだった。
ターミナルの端っこをエスカレーターで上へ上へ。
私には久々のKLIA。
フライトにはまだ時間があるので、フードコートへ。
やっぱり大好きアッサムラクサ。
Nちゃんはナシチャンポー。
きれいなフードコート。
再び出発フロアへ。
MHユニは本当に麗しいなぁ。
出国済み。
今日は国際線だけど本館側、ゲートH。
Hゲートは何もなくて殺風景。
今日の翼、小さい。
知らないエアラインが通ったので撮った。(オマーンエアだった。)
Fireflyにもプロペラじゃない機体があるのか!と撮った。
搭乗。
シートがカラフルで面食らう。
ボルネオ島へ向けて一路離陸。
眼下にプトラジャヤ。ピンクモスクと首相府が見えた。
ドリンク。
マレー半島を抜けました。
これまたペカン沖じゃないだろうか。(去年も上空から見たな。)
森から泥を運んで来る熱帯の川。
ミールボックスが配られた。
ブリヤニ、美味しかった!
カレー風味系機内食にハズレなしだね。
沖に見えた何か。マレーシアなのかブルネイなのか、油田なのか軍事的な何かなのか。
到着!
ブルネイ国際空港。今は改修され大きくなっているはず。
ロイヤルブルネイ航空。今はデザイン変わってしまっているけれど。(私はこっちのデザインの方が好き。)
降機。
ジャウィ文字が現役だねえ。
お酒持ち込みは申告が必要です。
お、あんな奥にKFCが。
では、タクシーに乗って市街地へ。
議事堂だったかな。以前来た時はピッカピカしていたドームがつや消しされてマットな感じになっていた。
今夜のお宿に到着。二人だと良いホテルに泊まれて嬉しい。
古風なドライヤー。
では、さっそく外へ。
ホテルは市中心部の北端で、中心部に向かう2本の通りの交わるところにあり便利だった。
我らが宿外観。
では、道を南に下っていってみよう。
ロイヤルレガリア(王室博物館)。
目立っていたこの建物はなんだったんだろう。ブルネイはストビューがない上に、それと思われる建物にも名前がない。(Jl. Dato Ibrahimにある。)
オールドモスクこと、Masjid Omar Ali Saifuddien。
BSBの象徴的モスク。
その向かいはヤヤサンSHHB。デパートだ。
オールドモスクは周囲を池に囲まれてとてもフォトジェニック。
このモスクのすぐ脇からカンポンアイル(水上集落)は始まっている。
(でも今地図で見ると、モスクに近接していた部分は公園に整備されてしまっているようだ。)
桟橋を渡ってカンポンアイルへ。
シギっぽい鳥がちょこちょこと歩いていた。
学校のようだった。
あの背の高い橋の上からカンポンアイルを見渡す。
あの林は白い鳥(白鷺?)のコロニーだ。
と、ここで周囲を眺めていたらボートタクシーのおいちゃんに声を掛けられた。いずれは乗ろうと思っていたので、応じることに。
ボートはブルネイ川ではなくまずは支流の上流へ。(Kedayan川というらしい。)
男の子が二人、屋根の上にいるのが見えた。
モスクを眺めながら、何をか語らん・・・。
でも残念ながらこのサイドはもう再開発されてしまった。住民はどこか陸上の、補償に用意された今風の家に移ったんだろう。
支流からブルネイ川へ出る。
ボート練習中の学生らしき人たちが何事か声を掛けてきた。
我らが船長。
モスク。
ふと気づくと、夕暮れの空に凧がたくさん。
船着き場に灯りも入った。
凧を揚げているのは子供たちだった。
・・・この光景には目頭が熱くなった。
東南アジアの国々を旅していると、川や野原や空き地、庭先や路地裏で子供が元気に遊ぶ姿を見てはっとすることが多い。(2019年の今でも。)
少しずつ灯りがともって、水上集落に訪れる夕餉の時間。
こちらも有名な水上ガソリンスタンド。
約1時間のボート旅が終わり、ヤヤサンSHHB近くのジェティで降ろしてもらった。
規模のわりに人がほとんどいないヤヤサンSHHB。
地下のスーパー初めて覗いた。
オールドモスクはまだライトアップされていない。
8時頃かな?ということで少し周辺をぶらぶらする。
BSBの夜は早いのだ。
戻ってくると、さっきより明るくなっていた。
お祈りの人たちの履物が見える。
では、ホテルの方へ帰ろう。
・・・と、ホテル前の公園のようなスペースにホーカーがあるようだった。
「Tamu Selera」というらしい。
というわけで各々ぶっかけ飯を食べた。
私はぶっかけというより、ちょい添えというか・・・。
この黒いの、鶏のハツの佃煮だったと思う(私が聴き間違えかつ覚え違いしていなければ)。
シーフード屋さんの隣のドリンクスタンド。
キャロットススをお願いしたら、妙に可愛くてなごんだ。
偶然の遭遇だったけれど賑わいながらも静かで、そしてローカルで、いい晩餐となりました。
お宿に戻って就寝。お疲れ様でした。
■Flight:DL281 NRT-SIN / TR2454 SIN-KUL / MH9004 KUL-BWM
NRT
SIN
SIN
KUL
KUL
BWM
■Stay:Hotel 81 Classic / Terrace Hotel
2019.07.26作成