あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

【サイパン】島内観光

2005年7月7日(木)

西向きリゾート、背後から朝陽が昇るまであと少しの時間帯。

鏡面仕上げ。

彩雲。空気は湿っぽいのに不快ではない。

当時はズームができるコンデジを持っていなかった。花炎樹に、鮮やかな青と白の鳥。

うっすら虹が出た。

saipan

ロビーでオプショナルツアーのバスを待つ。今日は島内観光に参加する。

島の北部へ。

忠魂碑。

安近短と呼ばれる旅行先で、戦争の痕跡に出会わないことはない。ここはバンザイ・クリフ。

この青い青い深い海に多くの魂が眠っている。

島の中で日本に一番近いこの場所で命を落とした大勢の方々。

平和で静かな島が、余計に戦争の記憶を際立たせる。

マッピ山の麓。

スーサイド・クリフ。ここでも大勢の方々が命を落とした。

日本軍が立てこもった壕。

この時、ある近隣国の文字を見た。ただの記念の落書きか反日的なフレーズかはわからなかった。その後もその国を嫌いになることはなかったが、当時まだドメドメだった自分には考えさせられるきっかけの一つだった。

青い空に花炎樹の赤。鮮やかすぎて、悲しい。

写真屋さんのそばにいたにゃんこ。

その後バスはバードアイランドへ。Isleta Maigo Fahang、チャモロ語で「鳥たちの眠る島」とのこと。

お次はパウパウビーチ。良い香りという意味。流れ込む上流に民家などがないため大変透明度が高いビーチだそう。この単語の繰り返しにオーストロネシア語族みを感じたものだった。

シュガーキングパーク。

復元された蒸気機関車

会津若松出身の砂糖王、松江春次氏の像。

彩帆香取神社

昼食へ。

お店も場所も覚えていないが中華料理店。知らない人たちと円卓を囲むのは辛い。もう食事付きのOPツアーには参加しないと誓う。

DFSからシャトルバスでホテルへ戻る。

あそこに日本の旗があることが不思議だった…そんなにも日本人がお得意様だったのか。

プールやビーチを歩く。

部屋で休んでいると雨が近づいてきた。

雨が上がったらもう夕方だった。本当に何もしていなかった。何もしない贅沢を楽しんでいた訳ではなく、ただ何もできなかった。

ビーチパトロールかな?

BBQの人たちが集まり始めていた。

夜、またバスでDFSまで来た。

少し歩いたところ、ダブルレストランという中華レストランへ。

繁華街からは外れているので少し寂しげだったが美味しかった。(当時の「るるぶ」に載っていたお店です。)

冒険できていないなぁ…

部屋に戻りまた何をするでもなく外を眺める。

■Stay:Saipan Grand Hotel(現Kanoa Resort Saipan)

(2016.05.27作成)