あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

2018年11月24日(土)【マレーシア】カンポンの花嫁

おはようございます。部屋の窓の下は寛ぎスペース。

かわいいカードキー。

さて、チェックアウトして出かけましょう。

KLIA2にこの角度からアプローチするのは初めてだ。

ちょうどKLIA行きのシャトルバスが来た。

ターミナル間は結構距離ある。

途中駐車場も経由する。

というわけでKLIA到着。レンタカーカウンターに向かうために渡り廊下で駐車場棟のBlock Dへ。

駐車場やらバス乗り場やらありちょっと迷った。

ここでKさん・Uさんと待ち合わせていた。

人懐っこいにゃんこがいた。

このにゃんこは絶対人に寄ってくるマンだった。

本日私はお二人に便乗させてもらう。

レンタカー屋さんのスタッフさんもちょっかいを出す。

本日の相棒。

いざ出発。よろしくお願いします。

セパンサーキットあたり。

センラゴール州とヌグリスンビラン州の境目あたり。

この日Google先生が示したのはこの道。

比較的海に近い一般道。この道沿いにはプランテーションとそのための居住地がいくつもあった。

プランテーションの運営会社、地名などが表示されていたパネル。Sime Darbyというのは19世紀から続く企業らしい。

そんなプランテーション内の集落の一角で朝ごはんになった。

お店のお母さんお姉さんたちは突然日本人が現れて驚いていたようだった。

セルフサービスらしい。

うっま!

ドリンクもお願いする。

お店の前にあったウォーターサーバー。ここに来る人たちの生活用なんだろうな。

 

では、南下再開。

この先Kampung Baru Tanah Merah Site Cという集落があるらしい。

華人墓地があった。見晴らしのいい小高い丘に。

その先ポートディクソンとの分岐をスレンバン側へ少し走り、高速へ。

再び一般道。

廟があるらしい。(Taman Serindit。)

Pasir Panjangの天后宮。

船のオブジェ。対向車線向けにポートディクソンへようこそと書いてあった。

Linggi川。ここからマラッカ州。

向こう側に河口の気配。

「小さな村のモスク」なモスク。

のどかなカンポンの道を抜けて、海へ出た。

お宿は確保してもらっていた。

海すぐそばの、簡素なお宿。

(この赤いランプはなんだろうなぁと思いつつ最後までわからなかった。)

窓の外。お隣では食事会のようなことが行われていた。
【2021.07.15追記】この時はわからなかったけれど、これがその後知ったFamily Dayだったのかな?

お宿のすぐ前は海だ。

 

お隣。

歩いていけそうだったけれど、Nちゃんの義弟さんが迎えに来てくれた。

そして私たちは、Nちゃんが嫁ぐおうちに到着した。

花嫁支度中のNちゃんを見た瞬間涙が止まらなくなった。

お庭に設えられたテントではたくさんの人たちがお祝いのお振る舞いをいただいていた。

私たちもさっそくご馳走になった。

花嫁さんと花婿さんの席はこちら。

少年たちの楽団に導かれて花嫁さんと花婿さんがやってきた。

マレー系の方々の結婚式で披露される武術、シラット。

花嫁さん花婿さんが席に着いて、列席者はまた食事を囲みながら歓談の時間になる。

グアバとクエをいただいた。

花嫁さんたちの食卓前にはウェディングケーキが登場していた。

いただいたBunga Telur(Egg flower)。

多くの共通の友達との再会を果たせたのもまたありがたかった。K君もJBから車を飛ばしてやってきた。

バッタもお祝いにやってきた。

宴はずーっと続くそう。後の席はご親族水入らずということで、私たちは宿に戻った。

ちょっと小高い丘から海岸沿いへと坂道を下っていく。

ランタナの花が可憐に咲いていた。

丘を下ると海が広がり、マラッカ海峡を渡る風が吹いてくる。Nちゃんがいろいろなことを乗り越えた末に辿り着いたのがこのカンポンだったんだと思うと目頭が熱くなった。

子供たちが庭で遊ぶ。

ガチョウがいた。

同じユニフォームを着た人たちがいて、大人だし、チームビルディングの合宿か何かかな?
【2021.07.15追記】先述の通り、Family Dayだったのだと思います。

小さなスラウがあった。

こちらの皆さんも同じ色のユニフォームで揃っていた。

同じお宿のYさんもお誘いし、みんなでマラッカまで足を伸ばすことにした。マラッカ市街地までは車で約1時間。

おお、小さな発電所が。

Telok Gongという町のモスク。

Taman Damai Jayaあたり。

その町のはずれにあった華人墓地。

Kg. Sungai Udangあたり。

ささやかショップハウス。

鳥類の絵が・・・。

建設中だったモスク、Masjid Kariah Tangga Batu Kechil。

Tangga Batuのモスクもうひとつ。

夕陽に聳えるのはTanjung Klingモスクのミナレット

華人学校がある。

廟もある。

尖がった特徴的な屋根が続いた。

何か気になる屋台が現れる。

延々と続くからびっくりしてしまった。

場所はこのあたり。

その屋台が終わるとBatang Tigaの街が始まった。

Batang Tigaのモスク。

Sungai Ayer Salakという川。サラックジュースの川?

拡大を続けるマラッカの埋め立て地エリア。何年か後にはここも建物で埋まっていくんだろうか。

マラッカ市街地に到着した。

昔ごはんを食べたのはこのホテルのWindmillというレストランだったと思う。

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kenanganlama.hatenadiary.jp

マラッカタワーが見える。(いつできたんだか未だにわからない。)

停めやすい駐車場ということで、マコタパレードへ。

駐車ロットひとつを祠に捧げているところにグッときた。

天井が低くて、古いモールという感じ。実際古い。

この辺も変わり過ぎてしまってびっくりする。以前マコタパレードはだだっぴろいところにポツンと建っていたショッピングセンターだったのに。

っていうか、夕暮れがきれいだね!

トライショーの異変に気付く。

昔はパーラワン広場と呼ばれていたと記憶しているあたりも変貌を遂げている。

ええ・・・。(困惑)

KTMの車両は昔から置いてあった。

こんな美しい夕暮れの日はセントポールの丘に上がらねばならない。

器用に寝ている猫がいた。

・・・タワー邪魔!!!笑

何はともあれ頂上へ。

タワー邪魔!!!笑

時間色の塀。

マラッカには何度か来ていたものの、フランシスコ・ザビエルさんにお会いするのは物凄く久しぶりだ。

セントポール寺院。

世界遺産効果もあってか、すごい人だった。

絶妙に邪魔なタワー。

避けて撮った。

セントポール寺院の内部、立てかけられた墓碑は変わらず。

でも奥に何かシアタールームみたいなのができていた。

もう一度、夕暮れ見納め。

丘を下りる。

なおも寝ているさっきのにゃんこ。

暗くなり、ますます目立つトライショー。

オランダ広場前。

マラッカ川を渡る。

ジョンカーストリートへ。週末ということもあってごった返していた。

歩くのも難儀するほどだったけれど、ショップハウスは相変わらず可愛らしい。

夕飯はこちらの老舗人気店。辛うじてすぐ座れた。

鶏飯粒、チキンライスボール。

茶葉蛋も。

そしてチキンにはタウゲ(もやし)。

突然飲みたくなったGrass Wheatジュース。

美味しかった。

ごった返すジョンカーストリートでもう一軒。黄色くて目立つ臭豆腐屋さん。

臭いけど美味しい。

もうしばらく辛抱して歩く。

なんだか、新しく開いたであろうカフェやブティック、雑貨屋さんがずいぶんあったな。ショップハウスは形はそのままながらも、塗り直されていたり、看板がとても今風だったりというお店がいくつもあった。

あれー、こんな同族廟あったっけ?今まで気づかなかった。

出た!メイソウのさらにパクりか。

ジョンカーストリートの端っこの広場にあるこの舞台は変わらない。

その裏手、Jl. Tokongには屋台街がある。

廣福宮。

日中は二階に上がれる香林寺。

夜は静かな青雲亭。

お向かいさんのマレー家屋も入り口がカラフルに塗られていた。

・・・こんな廟あったっけ!?

今地図で見てもわからないや。

一本違うだけでJl. Tokongは静かで穏やかで歩いていてほっとする。

でもこの通りのショップハウスもだいぶリノベしたところがある。

ひっそり光っていたカンポンクリンモスクのミナレット

静寂を乱しまくるトライショー。光だけじゃなくスピーカーから音楽もやかましい。

マラッカ最古のヒンドゥー寺院。

この通りの安宿に2013年に泊まった。

・・・涼んでいる人だろうか・・・。

この辺は安宿や安バーが多い。

ウォールアートのインスタ映えポイント。

ウォーターフロントに出た。

来るたびに斜め上に変貌を遂げていくマラッカ。田舎娘が都会でデビューしてしまったような気恥ずかしさがある。

入り口にH&Mハードロックカフェだもんな・・・世界遺産ってなんだろう。

というわけでマコタパレードに戻ってきました。ここで空港へ向かうYさんとお別れ。

私たちもクアラリンギへ帰る。

と、途中で寄った便利商店。

暗いので写真はありません。

カンポンへ戻ってきた。

カラオケ大会が行われていた。

FAMILY DAY・・・会社の家族も含めた慰安旅行かな?
【2021.07.15追記】・・・とこの時は思っていたけれど、ガチのファミリーのDAYだったことをその後知りました。

もう開いている食堂はなさそうだった。

夜の海。

あの家族は釣りをしていた。

砂の上に可愛い絵。

隣のコテージでは12時頃までカラオケが続いていた。

■Stay:KM Challet