あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

2015年12月2日(水)シンガポールで思い出巡り

さて、日付が変わったのでWiFiルーターを受け取った。2日間借りるので20ドル。

でもデポジットが200ドルもしてびっくりした。びっくりしたらカウンターのお姉さんが済まなそうな顔をした。・・・やっぱりタイ人よりシンガポールの人の方が表情も豊かだしサービスに余裕がある気がする。(※シンガポール人とは限らない。)
【2023.03.17追記】これは我ながら一面的だなぁ。タイ人は優しい微笑みの国であるのもまた事実。笑顔が少ないってことはない。旅でも暮らしでもより慣れていたシンガポールへの贔屓目だったんだろう。確かにタイ人はシャイな方が多いけれど、とても優しいことを徐々に知って行きました。

タクシードライバーはAntieだった。空港を出て身の上話などしながらシティへ向かう。

建国50周年の特別な年、チャンギの出口も赤と白のナショナルカラーできらびやか。

タクシーはECPを走り、やがて見えてきたシンガポールフライヤーやマリーナベイサンズ・・・。

目に映るすべてが懐かしい。言葉が通じる環境も涙が出るほど嬉しい。

適当に降りてホテルまで歩こうと思ったら正確な通り名を言ってよと言われる。

モスクストリートと答えれば説明する必要もなくそこまで連れていってもらえ「Actually・・・」とか久々に言えちゃって泣きそうになる。

今夜のお宿はChic Capsule Otel。

旅人時代はそりゃあ酷い宿にも泊まったものでしたが、2013年頃からおしゃれで清潔なカプセルホテルが台頭し、今はチャイナタウンやクラークキーを中心にたくさんあるみたいですね。

深夜の到着にも関わらずスタッフのお兄ちゃんは親切にファシリティを説明してくれた。

ウェルカムドリンクはアーモンドウォーター。ニクい。

女性専用ルーム。

みんなが寝静まる中私のスペースは突き当たりの上段。

電源が1ヶ所しかなく翌日あらゆるデバイスが電池切れで結構つらかった。

スマートTVもついて退屈しなそう。

どうもすぐに寝付けず、睡眠不足。朝になって寝てしまったためシャワーを浴びるヒマがない。

8時にチェックアウトする。

1階では朝食がサーブされていた。

時間ないのに食べてしまった。

いいお宿でした。

ああ、North Bridge Road!

さて、チャイナタウンから紫→赤と乗り継いでオーチャード駅まで来たものの、滞在当時もほとんど来たことがなかったため駅構内でいきなり迷ってしまった。

やっとのことでShaw House側に出てみたら、Googleマップ先生が示した隣のタイ大使館の表玄関は入れなかった。

9時ちょうどに到着の算段が遅れてしまった。

現在タイ大使館におけるビザ申請は、午前9時から11時半の間のみです。実は直前までこの事実に気づかず大使館の開いている時間内に行けばいいんだろうとうっかり今朝のフライトを予約していました。慌てて変更。

せっかくなので申請についてメモっておきます。 持参したのはパスポート、会社のレターをはじめとする各種資料、事前に会社に提出していた資料のコピー(過去の在籍証明書、卒業証明書、卒業証明書が旧姓なのでバンコク日本大使館でもらった婚姻証明書←戸籍謄本が必要)など。入口の守衛さんにホワイトカードを預けて入館証をもらい、帰りに引き換えます。申請料SGD100を支払い、パスポートを預けて申請はおしまい。 インド系らしき守衛さんが日本語を話してくれたのが衝撃でした。シンガポールのタイ大使館、日本とまったく無関係なのに・・・

ここで、バッテリー不足のWiFiルーターに手持ちのバッテリーから充電できないことが判明。これからシンガポール人の友達と会うというのに連絡手段がなくなってしまった。しかも迂闊にも、これから2軒目のホテルにチェックインだというのに、パスポートが大使館預かりになってしまった。とりあえず会う予定の友達にSMSだけは送り、申請後慌ててチャイナタウンへ戻る。

申請窓口でなぜか半分ほど返却された書類に私のパスポートのコピーもあった。事情を話したらそのコピーで快くチェックインしてもらえました。しかもまだ午前11時だというのに部屋も使ってOKとのこと。シンガポーリアンホスピタリティ!!
【2023.03.17追記】シンガポールのホスピタリティという意味ではない。サービス・接客業従事者がシンガポール国籍者とは限らない。これ現実。

今夜のお宿は我が「定宿」Santa Grand Hotel Lai Chun Yuen。1万円切ってもcomfortableに過ごせるホテルはもうシンガポールではそんなにない中で、お値段もここ数年そんなに変わらない、チャイナタウン感いっぱいの大好きなホテルです。部屋は狭いのでムリな人にはムリでしょうが・・・。
【2019.04.01追記】今は名前が変わってOpera House Hotelとなってしまいました。

友人Yちゃんがホテルまで来てくれて、懐かしのチャイナタウンポイントへ。

仕事帰りに同僚ちゃんたちとここの鼎泰豊に来たこともあったなあ・・・Fairpriceで買い物をし、ダイソーで買い物をし、ネットで予約したコンサートチケットを受け取ったのもここでした。

あれ?マックの隣って何が入ってたっけ?ラーメン屋か何かだったと思うけれど、肉骨茶の有名店松發肉骨茶になってました。

久しぶりにシンガポール肉骨茶!と、ベジ。

Yちゃんの誘いでリャンコートへ行く。

Ezlink(交通系電子マネーカード)忘れたなぁと思っていたら、持っていたPOSB(銀行)のカードにもEzlink機能があったことを時空を超えて今知った。

お昼をごちそうになったので、お礼に紀伊國屋書店で日本語勉強中のYちゃんに絵本を買ってプレゼントした。

明治屋にも寄った。

ここ数日夕方大雨が降るそうで、シンガポールリバーはいつも以上にココア色。

SingTelビルもお祝いモード。

チャイナタウンに戻りYちゃんと別れた。

雲行きが怪しい。

あのハリボテ的ゲートも以前はなかったな。

シャワーを浴び、少し昼寝をした。相変わらずこのタイプ(窓なし)の部屋のシャワーはトイレの上にあるのでびっしゃびっしゃになるし、今回は水圧が強すぎてドア伝いに部屋にもプチ洪水を起こしてしまった。

昼寝している間に外は雷雨になった。

マレー系歌手のTaufik Batisah君が国語であるマレー語で、シンガポールの近代を築いた世代の人を称える歌を歌っていた。

民族人種を問わない、建国世代の市井のシンガポール人が映像で紹介されていた。

せっかくJalan Jalanしてチャイナタウンやタンジョンパガーの写真を撮りたかったのにダメになった。

廊下もロビーも実に味わいがある。

無料のお茶やコーヒーを飲む。

雨が小降りになったので外に出てみた。

Smith St.は以前から夕方以降屋台街だったが、改装されてより綺麗な全天候型屋台風フードコートになっていた。

マックスウェルフードセンターの前が工事中だった。

一日の大半を過ごしていたロビンソンロード方面が見える。

チャイナタウンコンプレックスの前も変わらずお年寄りの憩いの場になっている。

折り畳み傘を買った。

工事箇所に遮られ、Neil Rd.に向かってだいぶ迂回する。

懐かしい懐かしいピナクルに近づいてきた。

この旧と新の対比の風景が大好きだった。

タンジョンパガー駅脇に新しいビルが2棟も増えていた。

ピナクルの足元にあった垢抜けないフードコートがどえらいおしゃれなフードコートに様変わりしていた。

仕事から帰宅するのと同じ足取りで、でも心臓をバクバクさせながら大家さん宅を訪ねた。事前に在宅を確かめていませんでした。いないから行っても仕方ないと判るのが怖かったから。幸いお父さんもお母さんも在宅で、玄関先で二人の顔を見た時は泣いてしまいそうでしたね。しばし思い出話や近況報告に花が咲いた。高校生だったお嬢ちゃんは就職をしていた。NSに行っていたお兄ちゃんは大学に戻っていた。1年半、短いけれど長い!

大家さん宅をお暇し次に向かったのはBLUEMIST。会いたかった3人の店員さんにも会えた。これでミッション2/3達成。

ここのオニオンリングが大好きだった。

仕事上がりの友人やかつての同僚が三々五々来てくれて、本当に仲良かった人たちと会えて大満足でした。

お店のJさんが1杯ご馳走してくれるというので、お言葉に甘えて強烈な印象だったブラッディマリーをお願いした。

彼女のオリジナルレシピブラッディマリーはなんだか醤油とチリの味がするのです。でも思い出の味。お店を出る時一緒に写真を撮った。彼女には結構身の上話をしていたので今も我が身を案じ続けてくれていて、思わず涙腺決壊しちゃいましたね・・・。

その後Tras St.のいい感じのバーに入ったのだけれどもはや記憶がない。

チャイナタウンに住む元同僚のKと最後North Bridge Rdでお別れする時に本日2回目の涙腺決壊を迎えました。

チャイナタウンの夜は早い。

■Stay:Chic Capsule Otel

■Stay:Santa Grand Hotel Lai Chun Yuen