あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

サバ州大移動、ラブアン島へ

2006年11月23日(木)

サンダカン~コタキナバル

裏庭ビューに朝が来た。

生活感がadorable。

ささやかなアメニティ。

朝食も摂らずにタクシーで空港へ向かう。

昨日セピロックへ行った道の途中まで行った。

サンダカン空港到着。

オランウータンが「シェー」してる。

古いステンドグラス。

待合室で何か食べ物にありつけるかと思ったらそうでもなかった。

さらば、サンダカン。

山がちな地形の上を飛んだけれどキナバル山らしき影は見つけられなかったな・・・。

南シナ海に戻ってきた。

機影。

飛行機を降りた時に見えたもしかしたらあれはキナバル山かもしれない!

いつか登りたいと思いつつ・・・10年経ってしまったなぁ。

コタキナバルで船待ち

空港からタクシーでストレートにジェッセルトンポイント(ジェティ)へ。

次の目的地、ラブアン島Pulau Labuan行きのフェリーチケットを確保した。ジェティFeeも払う。

フードコートでやっと朝ごはん、ナシルマにした。

この頃は好んでミロ(マイロ)を飲んでいたなぁ。外食でミロが飲めることがなんだかおもしろくて。

時間があるので周囲を見て回った。

ジェッセルトンポイントはよく整備されていた。

ジャンキーな船がいる。

細いイカが泳いでいった。

小奇麗なカフェで休んだ。

ハイビスカス味のアイスカチャン。

そういえばこれから船に乗るのにこんなもの食べて当たったらどうするんだと一抹の不安がよぎったことを思い出した。

コタキナバル~ラブアン島

いよいよ乗船。

この船で、ラブアン島まで行く。

ドキドキの出航。思えばこういう定期フェリーを利用したのはこの時が初めてか。

キャビンは低い。

外海は波が荒かった。でもあらかじめ確かセンパアという酔い止めを飲んでいたと思う。

キャビンに閉じ込められ2時間半ほどが経った頃、汚れた窓の向こうに島影を確認。

標高のない島がどんどん近づいてきた。

辺境の一小島なのに分不相応に立派な建物が見えるのはここがタックスヘイブンだから。

コタキナバルを発って3時間弱、ラブアン島に到着した。

下船。

ラブアン島の午後

ジェティを覗く時間もなくホテル探し。ここでは事前予約できるホテルが見つけられなかった。こんな島で宿無しになったら困る。

という心配をよそに、狙っていたホテル「Hotel Pulau Labuan」に部屋確保。

オリジナルブランド。

質素だけれど悪くないホテルだった。

窓の外にはちらほら夜市Pasar Malamが立ちどうにも心安らぐ風景だった。

テレビはaiwa・・・?ai・・・fa!

じゃらんじゃらんに出かける。ラブアン島はKLに次ぐマレーシア2つ目の連邦直轄区Federal Territory=Wilayah Persekutuan。

Jalan Tun Mustaphaという大通りを歩く。

大通りだけれど交通量も少なく、道路脇ものどかだった。

Bunga Kertas咲き乱れる歩道橋へ。

このモスクが見たかった!Masjid Jamek An-Nur。

なんて個性的なんだろう!

Masjid Jamek An-Nur

落書きはやめなさい!

中心街へ引き返す。Jalan Tanjung Purunを経てJalan Okk Abdullahを歩いたらしい。

図書館も入っているらしい公共施設。

あちら、フィナンシャルセンター方面。

ロータリーの向こうは独立広場Dataran Merdeka。

ボルネオ地域もまた第二次大戦の激戦地だったところだ。戦跡を避けて通ることはできない。

旧日本軍の占領下で「MAIDA島」と改名されたと記されていた。

今は平和に、独立広場ではサッカーの試合が行われていた。

Jalan Merdeka沿いのKFCに入った。

KFCはいつも美味しいけれど、このグレービーソースがけごはんは衝撃だった。

早々にホテルに引っ込んで、窓から外を見ていた。

せっかくのちらほらパサールマラムへも行かず・・・今こうして思い返すと当時の自分が歯痒くて堪らない。どれだけの機会を自ら逃してきたのかと。

お向かいのビルの中の住居に癒された。

本当に眺めるだけで終わってしまった。もったいない・・・。今なら無理して夕飯の二食や三食食べるだろうに・・・。

でも、このホテルの斜向かいの建物に妙に心惹かれて、その後年賀状に使ったりした。今見返してもなんだかじーんとなる。

ラブアン島

■Flight:MH2043 SDK-BKI

■Stay:Hotel Pulau Labuan

(2016.06.10作成)