2005年1月28日(金)
KLからマラッカ・・・マレーシアの中では難易度底辺のお手軽日帰り旅でも、当時の私には一大イベント。母との初めての海外旅行ということもあり、母を危険な目に遭わせられないとか、お腹壊すようなもの食べさせられないとか、お腹壊したらどうしようとか、とにかく緊張と心配満載の大冒険でした。
LRTを乗り継いでPasar Seni駅。
国立モスク。
KL旧駅。(13年経ってもまだ飽きずに同じ構図で写真を撮っている・・・。)
旅慣れない私たちを心配して、Kさんが昨日のうちにバスのチケットを買っていてくれたので、時間になったらすんなりバスに乗ることができた。
排気ガス充満のプドゥラヤバスターミナルを出発する。
バスターミナルは今や南の郊外に移転してしまいました。この時プドゥラヤでは当たり前だった客引きも今は昔。
初めての高速バスは快適で、そして寒かったな・・・。当時登場し立てでその快適さが話題だったKKKL。
車窓のゴムやヤシのプランテーションに惹かれた。
私たちは二人掛けだったけれど、1:2の座席は一人旅にはほんとありがたいと思う。
そしてバスはマラッカセントラルバスターミナルへ到着。
まず帰りのチケットを購入。
そしてローカルバスで歴史的地区へ行く。ローカルバス乗り場に行くと当時は何社か(少なくとも2社)歴史的地区方面へ行くバスがあり、「マコター!マコタマコター!!」と叫ぶ声が聞こえたものだった。近年はそうじゃなくなってしまった。
ローカルバスはショッピングセンターのマコタパレードで降りた。
この一帯も現在はまったく様変わりしてしまった。
オランダ広場の前ですぐさまトライショーのお父さんに捕捉された。
誰よりも地味でスピードも遅いこのお父さんのトライショーに乗って少し周遊した。
ここまで見て、引き返す。
トライショーお父さんにはお別れし、セントポールの丘へ上がる。
セントポール寺院の歴史色の壁。
片腕を失ったザビエルさんがマラッカを見下ろす。
丘を降りて、オランダ広場のマラッカ教会。
マラッカ川を渡って旧市街地へ。
週末は歩行者天国で賑わうジョンカーストリート。この時以来、何度ここへ来ただろう・・・。
ジョンカーストリートよりはちょっと静かなJl. Tun Tan Cheng Lock。
その通りにあったプラナカンレストランでプラナカン(ニョニャ)料理を食べた。
名前は忘れてしまった・・・確か「プラナカンレストラン」だったと思うんだけど。オーソドックス過ぎて検索してもわからない。
奥の空芯菜はブラチャン味(カンコン・ブラチャン)。
この通りにはガイドブックでも定番の青雲亭(Cheng Hoon Teng)寺院があるけれど、私たちはその向かいの香林寺Xiang Lin Siへ入った。
2階からこの通りが見晴らせた。
奥にモスクが見える。この通りは通称「ハーモニーストリート」だそう。
仏具屋さんというか神具屋さん。
さっき見えていたモスク、Masjid Kampung Kling。金子光晴によればKlingとはインド系ムスリムの方々だったと思う。
オランダ広場に戻り、そこでタクシーを捕まえた。観光地マラッカでは観光客はタクシー代をふっかけられることもある、なんて聞いていたけれど、この時はどうだったんだろう。
マラッカセントラルバスターミナルへ戻り、A&Wで休憩。人生初A&Wで、ルートビアの存在を初めて知った。カウンターでこれはビールかと尋ねて笑われた。
待合所で売られていたSiti Nurhalizaの紅茶、もちろん買った。
バスを待つ。
戻り足が来た。
帰りのバスの中、母はリラックスして爆睡していて安心した。
この料金所を通過するとKLに来たなあって感じがする。マインズワンダーランド・スンガイベシ付近だと思うのですが。
Pasar Seni駅で夕暮れ。
ほんとにこの頃は人気絶頂だったなぁ。SitiにVince君にレシュモニュ。マレー人にユーラシアン華人にインド系のスターたち、まさにマレーシアらしい黄金トリオ。
なぜ、どこでオタオタ・・・マダムクワンに入ったような記憶がうっすらと。でもなぜ他の食事の写真がないのか思い出せない。
食後に見上げるツインタワー。
わりと低層階にあるホテルのプールへ行ってみた。この頃は旅と言えば貪欲に歩き回ることが大事だと思っていたなあ・・・。もっとのんびりしても良かったのかもしれないけれど、でもその時しかその街には行けないと思うと・・・よくわからないな。
さっきスリアKLCCで買ってきたロティボーイを夜食に。
マラッカで買ったSiti紅茶、その後大事に飲みました。
■Stay:マンダリンオリエンタルKL
(2016.05.21作成)
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