あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

初・香港彼方此方(尖沙咀・紅磡・黃埔・荃灣)

※店舗・価格等の情報は訪問当時のものですのでご注意下さい。

2024年5月3日(木)

尖東 East Tsim Sha Suiへ移動

今日も残念ながら曇天模様の香港。

TVを見ていたら、「ムヒ」のCM。(ところで、生まれた時から身近だと言っても過言ではないムヒだが、このムヒが池田模範堂さんという製薬会社さんの製品だったことを長い人生を生きてきた今初めて知った。)

では本日も元気に出かけましょう。今日は観光+夫思い出の場所巡り。

高層過ぎる住宅を見上げながら移動。

まずは、ダブルデッカーバス初体験。

寶石大廈というバス停からMTRの荃灣西站を目指す。

終点が近くなり、すいてきたので着席。シートのデザインが可愛い。

終点、荃灣西站のバスターミナルに到着。

荃灣西站にはDON DON DONKI(ドンキ)と、その回転寿司屋さん(鮮選寿司)が入っていた。

ではMTRで都心へ。オクトパスOctopusをタッチして通る改札はこのパターンの他にもう少しモダンなデザイン(薄いアクリル)のドアと古風な銀色のバーを推すパターンの2種類を見た。

尖沙咀の東、尖東站(East Tsim Sha Tsui)までやって来た。尖沙咀站とはかなり近い。

シャトレーゼ発見。

駅を出て目に入った日本のつけ麺屋さん。

尖沙咀の細い通りを縫って歩く。

初・茶餐廳の朝食

夫は在香港時代この辺りで働いていたので辺りを懐かしく見渡していた。寶勒巷Prat Avenueでとりあえず目に留まったお店「冰室小菜館 Ice Restaurant」に入ることにした。(最初かき氷のお店かと思ってしまった。)

香港情報を下調べしていて幾度となく見かけ夫にも聞いていたのが「茶餐廳(チャーチャンテン)」。香港の大衆食文化の象徴だそうだ。その名の示す通りお茶と庶民的な「餐」の行える場所としては、マレーシアやシンガポールの茶室・茶餐室(Kedai Kopi)を彷彿とさせる。

参考記事

www.hongkongnavi.com

 

メニューの多さに目移りするが、記述はわかりやすい。

とはいえ、内容がわかってもどのようなビジュアルなのかはわからず・・・オーダーして渡された伝票はこちら。

奥は夫オーダーの沙嗲牛肉湯公仔麺(Satay Beef with Instant Noodles)と腸仔炒滑蛋 及 牛油多士(Scrambled Egg & Sausage & Toast)。手前は私の香煎豬扒湯公仔麺(Pan Fried Pork Chop with Instant Noodles)。朝から凄いものを行ってしまったが、ポークチョップ美味しかったです。そして、輪切りレモンが大量に入ったレモンティーの美味しさが非常に印象深かった。

緊張していたのか写真の構図が悪い。トーストもレモンティーも写っていない。

気になったのは「沙嗲(Satay)」。これは東南アジアで見るあの「サテ」と同じ漢字とスペルのようだが・・・?不思議に思い検索すると、Wikipedia先生のサテのページに香港やマカオで食されるという「サテ麺」という項目があった。

ja.wikipedia.org

 

というわけで初めての茶餐廳体験終了。ちなみに2人で77HKD、約1,500円。円安さんさぁ・・・。

見上げると香港らしい大きな看板。でも安全上の理由によりどんどん減ってしまっているそうですね。

近くにあった場外馬券売り場。香港ジョッキークラブの看板がかっこいい。香港はこの小さな国土に100ヶ所以上の場外馬券売り場があるそうだ(JRAのサイトより)。

HSBC尖沙咀支店

今回の旅の大きな目的の一つである、夫の現地銀行口座情報の更新をしにHSBCの尖沙咀支店に来た。もっと早く来る予定がコロナ禍のせいですっかり足止めを食らっていた。

HSBCの日本の支店は海外開設口座を取り扱わなくなっており(HSBC公式サイト)、一度は現地へ出向くように指示を受けていた。今回メンテできたことで今後は大抵のことはネットでできるようになった。

銀行のビルの向かいには大きなモスクがあった。その名もカオルーン・モスク(九龍清真寺)。

ネイザン・ロード(彌敦道)

一番の目的は果たしたので安心して観光へ出かけるべく、バス停または駅を求めネイザン・ロードを歩く。

ところで、今回街を歩いていて毎度気になり毎度撮ってしまったのが、工事現場・建築現場の竹の足場。これだけ摩天楼立ち並ぶ先進的イメージの街で、建築現場だけは不揃いの竹が現場を支えている。

やっぱり違和感ですよね。香港を象徴する事象の一つらしく、検索すれば記事もたくさん見つかる。なるほど安価だし軽いし(香港では地震も起きないそうだし)高温多湿の風土に向いていそう。

参考記事

www.itmedia.co.jp

www.afpbb.com

 

引き続きネイザン・ロード。ネイザン・ロードといえば「深夜特急」。あの作品の舞台はこの大通りではなくこの大通りを逸れた裏路地界隈だそうだ。

歩いている左手には小高い緑地「九龍公園」があるそうだ。まさに大都会に残った緑、オアシス。(九龍公園は翌日夜通りかかった。)

広い通りの向かいに見えたのは旧九龍英童學校(現古物古蹟辦事處)だそうだ。

街路樹が南国。

尖沙咀警察署の前にいたゆるキャラ。よく見るとお腹に「YAU TSIM」と書いてある。なるほど、油麻地の油と尖沙咀の尖で「油尖(ヤウツィム Yau Tsim)」。さらに旺角(モンコック)を足して油尖旺Yau Tsim Mongというのが、香港を代表する繁華街軍団をまとめた呼称だそう。

頭上でオニカッコウが鳴いたので見上げた画像。だが真っ黒な上に警戒心が強いオニカッコウは、目を凝らしても見えない。あの大音量ながら寂しげな声だけが街に響いていた。(南国の朝・夕暮れの象徴であるオニカッコウ、大好きな鳥。)

室外機、いいね。

そういえば香港ではサイゼリヤを実によく見かけた。

こちらは一階の北海道牛乳蛋糕屋さんもインパクトがある。「厳選された素材」。

新旧高層ビルが延々と連なる。(はま寿司も見えます。)

旺角站から移動開始。ホームでは相変わらず若い女の子たちが駅名表示と記念撮影をしていた。どの表示の脇にも漏れなく女子たちがいるため、このように人がいない駅名はなかなか見つからなかった。

赤松黄大仙祠(黄大仙 ウォンタイシン)

やって来たのは黄大仙(ウォンタイシン Wong Tai Sin)站。

駅を出ると背景に香港お定まりの高層住宅、そして手前には仲見世のような縁起物屋街が見える。

黄大仙祠。Wikipedia先生情報を丸呑みしてしまうと、正式名称は「赤松黄大仙祠」または「嗇色園黄大仙祠」、通称黄大仙祠(ウォンタイシンチ)というそうだ。ご本尊は晋時代の黄初平仙人、さらに観音様や孔子も合祀される、香港でも最も有名な道教廟の一つだそうだ。

夫が過去に訪れた際はここまで混雑していなかったそうで、大勢の参拝客はやはり大陸のメーデー連休の影響だろうか。

これだけ大勢の人の中なら日本人もいそうだ。

嗇色園。色の名前ということではなく、色(欲望や煩悩)を「嗇」する(抑える)という戒め。

境内には本殿に辿り着くまでにいろいろな神様のお堂があり、日本でいう末社・境内社のよう。

みんな大好き干支さんたち。

本殿というか本堂の前には大勢の参拝客。線香の煙立ちのぼる。

線香を掲げお祈りする皆さんの背後には、膝をついてお祈りや筊占いを行う方々のスペース。

本堂を離れると、目の前にガラス張りで金色のありがたそうなお堂が。

馬ちゃんたちがお堂を囲んでいる。

あの赤いお堂は孟香亭というそうだ。皆大歓喜!

浄財。

農暦3月15日(今年は4月23日だったそう)が財神さんの誕生日だそうで、4/20~5/5はそのお祝い期間だった模様。

あなたも財神さんになりきって写真を撮ろう的な。

(その後大勢の方が押し寄せていた。)

月老殿。縁結びの神様である月下老人の廟はどこも人気ですね。

それでは、黄大仙祠を離れましょう。

人気の道教廟を見下ろす暮らしを送る皆様。

うっかり仲見世的な縁起物屋街を覗かずに出てしまった。

異国情緒漂う九龍城界隈、タイの気配と門口土地財神

MTRの構内にて。「豊かな生活 Yutakana Seikatsu」というブランドの育毛剤の広告。はて、こんなメーカーさんあったっけ?と思って「豊かな生活」で検索してもいまいち香港人富裕層の豊かな生活ぶりについての記事しかヒットしない。むしろ「Yutakana Seikatsu」の方が情報にありつけた。

Yutakana Seikatsu

一方こちらは紛れもなく日系の広告。東南アジアどこでも見かけるイオンクレジットさん、香港でも。だいじょうぶ!

さて、下車したのは宋皇臺(Sung Wong Toi)站。長い駅通路に何か掲示があるが、後で拝見することにし先を急ぐ。

地上に出て、歩き出したのは南角道Nam Kok Rdという通りだった。

工事現場の竹の足場がここでもやっぱり気になる。

味わい深い時間色の壁。

お店構えの雰囲気も、さっきまでいた油尖旺地区とはまた違った趣。

これはどうにも私好みのお店ではないですか!

門口土地財神や天官賜福の神棚をはじめとする神具のお店だった。

このようなお店があるくらいだから、ふと足元に目を遣ればやっぱり門口土地財神!

こちらの門口土地財神さんは鮮やかなエメラルドグリーンのタイルの祠。あれ?隣にあるのはシンハービールのケース・・・。

こちらの門口土地財神さんには、タイで願いが叶うとお寺に奉納する雄鶏の像が・・・。

タイレストラン!

植木鉢や植え込みに線香を差すのもタイでよく見た。

あちらにもタイ料理店。

この通りにはタイ料理店が多い。聞けばこの通りだけではなくこの一帯に多いそうだ。

タイの精霊・土地神様は真っ赤な飲み物がお好き。それに近いものを感じる色の濃いお供え物。(お茶?)

こちらもタイ料理店。

柱に天官賜福の神棚。これまで、中国南部の移民にルーツを持つ東南アジアの華人社会のゆかりを台湾で感じて来たが、ここ香港の方がその気配が濃い感じがする。

台湾でもそうだったが、高層住宅の多い町の宿命、中に廟か祠があるようだ。

そして門口土地財神さんも捕捉。

カニのオブジェがとっても既視感な富士水産さん。

あれ、こちらにもリアルなカニ。タイ料理店とカニ屋さんの通りだったか。

建物が市中心部ほど高層過ぎない、古めかしい感じのする街だ。

百貨店。

そんな建物の向こうに唐突にタワマン的な高層住宅があり驚く。

九龍寨城公園

さて、この通りの脇は公園だ。

そういえばあちこちでこの「中華文化節」の広告を見かけた気がする。

公園に入ってみる。

ここは九龍寨城公園、日本風に言えば九龍城址公園。ここがかつての城塞である歴史は古く、遥か宋代に遡るそう。だが、清朝の終焉と共にいわゆる城塞としての役目は終わり、城壁が取り壊されて後に巨大なスラムが形成されたという現代史の姿が有名であろう。いわゆる九龍城砦だ。

※なお日本で見聞きする「クーロン」という発音は中国語由来ではなく旧日本軍占領期由来のピジン言語だとWikipedia先生が教えてくれた。

だがそんな世界に名だたる巨大スラムは取り壊されて久しく、今見られるのは爽やかに明るい市民憩いの公園の姿。

中華庭園。

魚は見当たらなかった。

鄺日修峰Kwong Yat Sau Rockという、牧師さんに関する謂れのある岩だった。園内にはこのような由来のあるボコボコ岩がいくつかあった。

鄺日修峰Kwong Yat Sau Rock

龍津石橋。なんでも旧啓徳空港の辺りにかつて龍津石橋と呼ばれる巨大な石の桟橋があったそうで、そちらは発掘、保全が図られる遺構らしく、これはその龍津石橋にちなんで名づけられた石橋かな?と思う。(違っていたらすみません。)

劉知三峯 Lau Chi Sham Rock。

この形がとてもチャイニーズ。

公園の脇の建物、屋根の形が中国南部的。

そして素朴な盆栽の数々。

よく見ると鉢が可愛らしい。

東南アジアで見るデカ長カタツムリを香港で確認。

一際大きいボコボコ岩、これが最も有名な歸壁石Guibi Rockだそうだ。太湖石という石だそうで、中国の蘇州にある太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の石灰岩・・・とWikipedia先生が教えてくれた。

公園を出たが、こちらが正面というか表門だったようだ。

ここ九龍寨城公園の前身たる九龍城砦のジオラマが展示してあった。香港ナビさんの記事によると、調査や製作には日本人研究者も関わっていたそうだ。

九龍城砦の模型

その背後には九龍城砦内部を描いたアートが掲示されていた。

暮らしの様子の中に見える食堂・理容室・診療所・・・生活を営む要素が高密度で詰まっていたことが伺える。九龍城砦(啓徳空港とセットで)は今もなお憧れる人も多く、撮影機材の進化した今なら、どんな風景が記録され公開されたのだろうと思う。

先ほど横から見えていた中国南部の様式がよく表れた建物。衙府という、城塞時代から残る建物だそうだ。中は公園の管理室と小さな博物館だそうで、行けばよかった・・・。

公園の脇にも容赦なく高層の建物。

結構な大型の建築現場なのに、やっぱり竹の足場。

再び九龍城界隈ちょっと歩き

公園を出る。

無機質な外壁を彩る洗濯物。

シンガポールと同じく、垂直に突き出した物干し竿。建て込む町の姿。

そしてやっぱり気になる竹の足場。

ノウゼンカズラのような大きなオレンジの花がボタボタと落ちていた。

見上げると結構大きな葉の木。火炎木(カエンボク)という樹木らしい。(火炎樹ではない。)

肩肘張らない空気感漂う街角。

さすがタイ料理店の多いお土地柄、門口土地財神さんも両脇を象さんに守られて。

念願の(?)竹の足場の真下を通過。

本当に竹。

その後も撮り回る門口土地財神さん。

こちらは・・・寂しく空き店舗の気配。

竹の足場とネットの養生。大きい。

行列のできていたお店、清真牛肉館。その名の通りムスリム向けハラル料理店。

食料品店の店頭。

タイレストランの店先、植木鉢に掛けられたプアンマーライ(タイの花のお守り)。

ワイ(合掌)をした人形と並ぶ門口土地財神もリボンでおめかし。

この大通りの向こう、あの辺りが啓徳空港跡地だと夫が教えてくれた。

駅へ帰る。

KARAOKEですって。

居酒屋さんがありました。

建築現場、本当に独特。見かけると毎回撮ってしまう。

宋皇臺Sung Wong Toiの駅の中、先ほど通り過ぎた掲示物を見る。この駅を建設している際に大量の陶器が出土したという、そのレポート。宋代からの城塞があったこのエリアには多くの歴史の遺物が眠っているそうだ。

通路をさらに進むと、小さな駅ナカ博物館。

「聖山遺粹」という常設展示のようだ。聖山とは?と思い検索すると、かつて元の侵攻を逃れた宋の皇帝兄弟がこの地に辿り着き小高い丘で休息をとったため、その場所を聖なる山と名付けたとWikipedia先生が教えてくれた。宋皇臺という地名もその故事に由来していた。

なお聖山は旧日本軍によって爆破され啓徳空港になったという喜ばしくない末路を辿っていた。

解体された啓徳空港跡地をはじめとしたこの九龍城地域一帯からの出土品や歴史が紹介されていた。

参考記事

www.discoverhongkong.com

www.info.gov.hk

 

宋皇臺駅からMTRで移動開始。左端の看板は久光製薬のサロンパス。

日本でもおなじみサロンドプロの看板。

紅磡(ホンハム Hong Hom)駅界隈

MTRでやってきたのは紅磡(ホンハム Hong Hom)站。

ここ紅磡駅はこれまで通った駅よりコンコースがとても広く明るい印象。

MTRのどの駅ビルにもわりと定番のテナントが入っている。ヤマザキのパンショップと、華御結(はなむすび)というおにぎりのショップは結構どこでも見る。

「站見」。MTR車内の広告で見かけていたが、会場はここだったのか。MTR開業45周年記念の鉄道特別展だそうだ。

参考記事

stationrailvoyage.mtr.com.hk

 

エスカレーターで階上へ。

駅のざわめきを見下ろすフードコートには夫も在住時代たまに来ていたそうなので、昼食はここでいただくことにした。

私は東南アジアの華人食堂やホーカーでよく食べた白身魚のスライスと酸菜の酸っぱいスープ麺を。「金湯酸菜魚米線」、レモンティーつきで63HKD。さっぱりしたものが食べたいところにちょうど良かったが、実に酸っぱ辛かった。

金湯酸菜魚米線

夫は海南鶏飯。きっちり海南鶏飯と明記されていたので、東南アジアの逆輸入版か。

さて、駅を出て駅前ロータリーを挟んだ向かいの建物群THE METROPOLISへ向かう。

駅の脇には大きなバスターミナルがある。

ペデストリアンデッキから見下ろす紅磡站。

紅磡站

駅前のバスターミナル。遠くにヴィクトリアハーバー方面の気配。

高層過ぎて雲に霞むのはICCビル(で合ってるかな?)。

FORTUNE METROPOLISモールに入る。入口にあったガチャガチャ。

入っているテナントはこれまでチラ見した駅ビルのモールに比べちょっとだけ上を意識しているようだった。

個別指導教室、先生1人に生徒が2人!と少人数制を謳う。先進国の宿命、香港もさぞや競争社会なのでしょう・・・。

和民が入っていた。

カフェで小休止。香港あちこちで見かけるPACIFIC COFFEE(太平洋珈琲)がここにも。

PACIFIC COFFEE(太平洋珈琲)

アイスコーヒー(T)とカフェラテ(G)。〆て78HKD也。

PACIFIC COFFEE(太平洋珈琲)

PACIFIC COFFEE(太平洋珈琲)

カフェの近くにあった酒屋さんを通りかかる時、「十四代」の価格が見えた。一升瓶は驚きの3,380HKDですって。

何か催事の準備。ハムスターのイラストが見える。

周囲にもセットが。「助六の日常」と「の」が入っているので香港ご当地のキャラかと思ったら日本生まれのキャラだった。「置富Malls x 助六の日常花園綠野悠」というコラボイベントのようだった。

レジデンスフロアの入り口。

住民用か、リサイクルボックス。

紅磡から星光大道Avenue of Starsへ

紅磡站の裏手へ回る。

香港体育館脇を通過。

駅裏。このままこの先の歩道橋を道なりに歩いていけば、尖沙咀方面へ行くらしい。 

歩道橋から見えたクロスハーバートンネル。

奥に見えている香港島に続くトンネル、感慨深い。そして渋滞も凄い。

香港 クロスハーバートンネル

歩道橋は続く。

尖沙咀エリアに到着。

やはり先ほどまでいた九龍城地区と比べたら整然としている。

市政局百周年紀念公園という公園に出た。

その公園の横にあったビルの名前、SOUTH SEAS CENTRE(南洋中心)・・・名前が良い。イギリス英語のスペルも。もう香港は南洋に片足突っ込んでる感。(南洋帰りの華人が建てたビルだったならすみません。)

そこからヴィクトリア・ハーバーはすぐ。

ヴィクトリア・ハーバーと香港島を眺めながら食事ができるオープン席。夜はさぞや混むことでしょう。

歩道橋を渡って向かったのは星光大道Avenue of Starsという海沿いの遊歩道。「星」は空の星ではなく、香港映画界のスターを讃えて建造された道だということだった。

歩道橋から望む香港島側。天気が良くなく残念!

電光看板の光る香港島側。

左手側の遠方をズームで。方角的には油塘方面になるだろうか。いやはや溜息が出る人口密度。

そのまま、香港島側を眺めつつ右手のより都心の方向へ歩く。

ビルはまだまだ増えるようだ。

団体旅行者のバスが多く見えてきた。

旅行番組で見たことあるぞ。ブルース・リーの銅像。香港映画界の大スター。

 

その先はとにかく観光客が多くて一時身動きも取れない箇所もあり、入り込んでしまったことを後悔した。

あちら方面へ逃れたい。

あの像は香港の権威ある映画祭Hong Kong Film Awardsで授与されるトロフィーを模した像だそうだ。

天気は悪いし、落ち着いてヴィクトリア・ハーバーと香港島の風景を眺める状況ではなかったが、「人のすんごい多い観光名所を通過した」という謎の達成感は残った。

ネイザン・ロードが見える。

香港藝術館。

1881ヘリテージ辺りぶらぶら

ここで夫が所用で人と待ち合わせていただためしばらく単騎行動。今朝横を通り過ぎた「1881ヘリテージ」へと行ってみた。かつての水上警察本部の建物を活用した商業施設。10しかない客室がすべてスイートルームという高級ホテルも入っているそうですよ。

一部煉瓦の建物は竹の足場が組まれ改修中だった。

歴史ありそうな円形の建物は時間球塔(タイムボールタワー)というそうだ。かつてヴィクトリア・ハーバーを航行する船に時を告げる役割を果たしていたらしい。

タイムボールタワー

ここは実にコロニアルな一角。

フラワーイベント。「デジタルイマーシブフラワーズ展」と日本語でも書いてあった。

敷地の角に、レトロな消防車が展示されていた。地図上ではDennis Fire Engineと表示されている。

周囲の人の多さ。

ダイソン室外機たち。

紅磡の岸壁で一杯

再び夫と合流し、1881ヘリテージからそう遠くないバス停からバスに乗った。残念ながら番号はこのうちのどれかは覚えていないが、さっき訪ねた紅磡行き。

バスはすいていて、ダブルデッカーの最前列を確保し、車窓が楽しいったらない。

先ほど歩いた海沿いの遊歩道を通過。

紅磡へ向けて高架の道を行く。

なんともシステマティックで見惚れる。

車窓に見えた香港理工大学の学生寮。その下に賽馬會樓の文字。提供したのか協賛したのか、香港ジョッキークラブが関係しているようだ。この裏手一体が香港理工大学のキャンパスらしい。

駅周辺のどこかだろうが地下なためよくわからない。紅磡のバスターミナルに到着。

すぐそばには海。

あの桟橋にはWater Taxi乗り場と書いてある。

もう一つ桟橋が。こちらは紅磡フェリーピア。

そのフェリー乗り場にあった大変良い感じのバーは夫が以前入ったことがあったそうで、一休みすることにした。

ピントが合わなかったが、いただいたのはステラアルトワ。

コースターはプレモルだった。和魂!

奥の窓からは正面に香港島の北角(North Point)地区が見えていた。

フェリーやクルーズ船が行き交う。

コンテナ船も走っている。方舟23という船名から、広東省の港とを行き来しているようだ。(MarineTrafficアプリ先生は何でも教えてくれます。)

黃埔(ワンポア Whampoa)

公園を抜けて、お次は黃埔(ワンポア Whampoa)という地区へ向かって歩いていった。

黃埔(ワンポア)は紅磡の一部、海のそばに高層住宅群が整然と立ち並ぶ地区。夫は香港駐在が始まった当初はホンハム駅近ではなくここワンポアに住んでいたそうだ。

地図でも察せる通り、デザインが同じ高層住宅がみっちり並ぶ。

先程歩いた紅磡に比べ、黃埔の方が庶民的というか下町感というか、コンドも全体的にちょっと古いようで、ローカルぶりがなんだか落ち着く。

ところどころあのような竹の足(?)場が組まれているが、何が行われているのだろう・・・。

この視界右側にあるイオンに入る。

イオンだけに日本食のスタンドが並ぶフロアがあった。

「とびきり価格」!な青森完熟林檎ジュース。

日本のお酒も豊富。

夫の用事を待つ間、ティースタンドでウーロンミルクティーをいただいた。

イオンの入っているモールはこんな感じで船の形をしており、ワンポアのランドマーク。

 

そろそろ夕飯の場所を探そう。

住居の一階がもれなく店舗で、便利そうな街だ。

Big C(タイ資本のスーパー)が!

ところどころ組まれた竹の足(?)場が組まれているが、何が行われているのだろう・・・。(n回目)

By SUSHIRO。

路地ぶらぶら。

街角雑誌屋さん。

行列のできるラーメン屋さん。

福徳古廟と天地父母

小さな廟に出くわした!

福徳古廟

はやる気持ちを抑え接近を試みた。

廟だと思ったのは覆堂的なもので、廟の本体はこの祠のようだ。福徳古廟。東南アジアで土地公としてよく祀られる福徳正神を、より彼らのルーツに近いところで出会えた喜び。

そして天地父母の牌位。潮州ルーツの信仰ということで、東南アジアでもタイでしか自分は見たことがなかった。(タイはどの華人廟にも必ずある。あり過ぎるほどある。)

ちゃんと撮れていないが、土地安寧と五穀豊穣を祈る「社稷大王」の牌位も。

煌びやかなアーチ(花牌)が掲げられており祭日中なのか、参拝客が多かったため写真撮影は控えめに。そのため不自然構図ばかりになってしまったが、已む無し。

久しぶりに渦巻の線香を見られて嬉しい。見たかった香港がまた一つ見られて嬉しい。

荃灣へ帰る

暗くなってきたがなかなかお店が決まらない。夫が昔行ったというお店はもうなくなっていた。

この竹竿たちは!養生用のネットと一緒に出番を待っていた。

スシローと元気寿司が同居?

あのスシローは順番待ちの人だかり。ビックリしましたね・・・。

ワンポアの画一的な集合住宅もそろそろ見慣れた頃、埒が明かないので河岸を変えることにした。

思いっきりピントが合わなかったが、30X荃灣行き。

また二階の最前列を確保。

バスは郊外へ向かう前に尖沙咀を通った。

バスを待つ人は大勢いたが、この30Xはその後のルート取りのせいか混まなかったな。(途中しばらくバス停がなく直行区間が長く、MTRもありますしね。)

数が減ってしまったことが残念な、張り出し看板をくぐる痛快さ。

雨が強くなった。

途中から高速に乗り荃灣方面へ直行してしまう。

高速を降りればもう荃灣。

終点まで行ってしまうと荃灣の繁華街からも駅からも離れてしまいそうだったので途中下車した。

再び夕飯探し歩き。

火鍋屋さんを求めてぶらり。

この辺、日本食のお店が散見された。

歩道橋から見下ろすラーメン屋さんと居酒屋さん。

路地風の飲食店街が良い。

暗くてピントが合わなかったが、鱟地坊小販市場 HAU TEI SQUARE HAWKER BAZAARという建物。営業時間に見てみたかった!

香港ならでは、ミニバスの基地(路駐)があった。

煌々と輝く「不賣隔夜肉」のキャッチフレーズが印象に残った錢大媽というスーパー。「宵越しの肉は売らないぜ」的な意味?中国本土資本の結構大きな企業のようだ。

繁華街に火鍋屋は多かったが、台式とか四川式とかしゃぶしゃぶとか、夫が求めるタイプとはどこか違っておりなかなか見つからない。

賽馬会徳華公園。また香港ジョッキークラブ提供だろうか。世間の理解を得るための社会貢献だろうか。ここも明るい時に中に入ってみたかった。興味深い建物があるようだ。

大滾友火鍋 Big Boils Club(荃灣)

ホテルへの帰り道、やっと見つかった一軒。

ビールはパイントで来た。

最初から席にセットされた薬味が楽しいったらない。

オーダーはQRコード読み取り式で便利。

お肉は高級牛肉爆盛りセットなど勧められたが、メニューの「店長推介😍伊比利亞橡果猪👍🏻」一種類一皿にした。結構な量がドライアイス煙幕に包まれて出て来たので、一皿しか頼まなくて良かった。奥は蝦餃。

そして選んだスープは「櫻唇半開・特色卜卜蜆鍋」。画像で見た時はまさかこんなにデカい貝が鍋いっぱいで登場するとは思わず、一瞬たじろいでしまった。

卜卜蜆鍋で検索するとどうやらマカオに有名店があるようだ。「卜卜蜆」という貝なのかと思ったが、百度先生に聞いたところアサリやハマグリ等の二枚貝を使った料理名だった。その料理を転じた鍋ということらしい。百度先生には「卜卜蚬的汤底」という項目もあった。

鍋底にドライアイスが仕込まれていたらしい。スープが注がれるとテーブルは雲海のようになった。

「Movie!Movie!」と促されて訳も分からずスマホを構えたらこうなった。楽しい!

他にマテ貝(ちょっと泥臭さを感じたが)と野菜てんこ盛り、〆の出前一丁(小袋の粉末スープもしっかりついている)。

記念にキャプったオーダー履歴。

ドライアイスで冷やされたスープが沸騰するのを待って美味しくいただいた。あっさり塩味にニンニクがたんまり、本当に美味しかった。あの山のようなアサリも平らげた。

ご馳走様でした。

ホテルとは結構近い。よほどお腹がいっぱいだったのか、その後の画像が一枚もない。

■Stay:悦來酒店 Panda Hotel