あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

バーンマイ百年市場とプラカノン市場

※店舗・価格等の情報は訪問当時のものですのでご注意下さい。

2024年6月15日(土)・16日(日)

朝のフアランポーン駅

旅の時だけは早く起きれる。6時起床。

ソイカウボーイの裏。

身支度を整えチェックアウト。本当はレイトチェックアウトをお願いしたかったが満室とのことだった。荷物をフロントへ預け外へ出る。

朝の気怠いソイカウボーイを横目に、MRTスクンビット駅へ。

土曜の早朝、アソーク交差点もさすがにまだ車はまばら。

MRTもすいている。

昨日も来たフアランポーン駅に再び到着。

懐かしい、trueの端末。毎月の携帯料金を支払ったりできる。(でもアプリが便利。)

国鉄のフアランポーン駅へ向かう。

(昨日も見た)タイの公共交通の歴史。行幸には積極的に鉄道を利用されたという前王様の国民との交流の記録でもある。

では、駅へ。

ここで何も考えずに窓口でチャチュンサオ行きのチケットを買ったところ、想定の1本前の6:55発のチケットを買ってしまっていた。時間全然見ていなかった・・・。

本当は駅をのんびり見学し8時の列車に乗るつもりだったが、出発5分前。駅員さんに急かされる。

駅舎側の車両はもういっぱいで、空席を求め車両の先へ先へ。これだって余裕を持っていい席を確保しようとしていたのに。

先頭近い車両の、進行方向左側の席を確保。陽射し的にどっちが良かったんだったか思い出せず座ってからもしばらく迷っていた。

タイ国鉄チャチュンサオ行きチケット

発車5分前に乗り込んだもののなかなか発車しない。

4席すべて空いているボックスは残りあとわずか。

発車待ちの車外の風情を楽しむ。

フアランポーン駅

あれは、サボたち。

フアランポーン駅のサボ

フアランポーン駅のサボ

フアランポーン駅

キハ183「特急オホーツク」に遭遇

隣のホームに入線してきたあの車両は!

昨日駅構内でパネルを見た、JR北海道から譲渡されたキハ183「特急オホーツク」。

JR北海道から譲渡されたキハ183「特急オホーツク」

参考記事

toyokeizai.net

 

思わず反対側の席に移動する。だが慌てて撮るのでピントが合わなかった。無念。

ピンボケながらもなんとか捕獲できた「特急オホーツク マッカサン工場」の幕。

JR北海道から譲渡されたキハ183「特急オホーツク」

OKヘッドマークには、「特急オホーツク」に代わり「SRTマッカサン工場」と書いてあった。

JR北海道から譲渡されたキハ183「特急オホーツク」

ホームにいる身なら存分に接近して撮影できたが仕方ない。目撃できただけで良しとしよう。

チャチュンサオ行きの車窓から

キハ183の入線を待っていたのか、我々のチャチュンサオ行きも遂に発車した。

フアランポーン駅出発

広大な敷地内にはいろいろな車両がいて楽しい。

JR北海道から譲渡されたキハ183「特急オホーツク」

フアランポーン駅

日本もそうだが、鉄道関連施設も楽しい。

どこの国も同じかもしれないが、夜間無人になるターミナル駅近くの線路沿いは治安怪しくなりがち。塀には落書きびっしり。

そして都心を出るまでは、線路の至近距離に濃密な生活感。

ワイヤーフェンス・・・ではなくただの電線。そして、薄れてはいるがなんとアレックス・フェイス Alex Face氏(チャチュンサオ生まれの著名なストリートアーティスト)の作品がこんなところに!もったいない~。

トラスの鉄橋。

ここはボーベー市場脇の運河。ボーベータワーも見える。運河に架かるあの橋からこちら側を見たことを思い出す。

国鉄から望むボーベー市場近くの運河

参考記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

建て込む都会の一隅。増築上等。

最初の停車は駅ではなく列車行き違いの信号所。(だったと思う。いや、駅かな・・・)

なお、出発からこの信号所まで、約5分間だけ動画も撮ってみた。

ペッブリー通りを渡る。この先新ターミナルのバンスー駅へ向かう線路がここで分かれていった。

もうしばらく建て込む線路沿い。

タイ国鉄の車窓

パヤタイ駅から先はエアポートレールリンクの高架の下を走ることになる。

これまでほど建て込まなくなるが、それでも都会の人は逞しい。

ラチャプラロップ駅下の交差点。

この先はSRTタイ国鉄のマッカサン工場。5~6年前に再開発の計画も報道されていたが、建物はまだそのままだった。(ONE UPじゃないのよ 怒)

 

レンガの塀のうちそとに、資材や車両が雑に保管されている。

マッカサン駅で列車行き違い。

しまった・・・朝が早いため朝日が直射日光。この先チャチュンサオまではほとんど方角が変わらない。

こんな都心でも手動の踏切なのが素敵。

エアポートレールリンク、マッカサン駅の直下の交差点。MRTのペッブリー駅と国鉄のアソーク駅とが集まっている。

車掌さんの検札。暑いですよね、お疲れ様です。今回は鋏カチカチではなくペンでシュッとチェックだったな。

いよいよ眩しい。

あの席には外国人の一人旅人がいた。先程立ち上がり写真でも撮りに行ったかと思ったが、そのまま次で下車したのか席を変えたか。

戻って来ないので、ありがたくそちらへ座らせてもらう。

クロンタンKhlong Tan駅到着。水郷バンコク、khlong(運河)がつく地名が多い。

そして常にホームの脇に停車するわけではない。

またここでしばらく停車したので、駅舎のにゃんこを観察した。メオ~。

駅ナカの売店。

にゃんこは朝ごはんのようだ。

追いかけっこも始まった。

何度か往来していた車内販売のお父さんから、駅弁を買った。

ムーヨーン(肉鬆)とソーセージが載った、20バーツの素朴極まる駅弁。お米がカオニャオ(もち米)で、なんともしみじみ美味しい。20バーツで五臓六腑大歓喜。

タイ国鉄 車内で買った駅弁

席が無ければデッキに座ったろ!のできる国が羨ましい。

ここクロンタン駅ではプラチンブリ発バンコク行きと行き違った。

クロンタン駅を出てすぐに市場があった。上を走る高架はエカマイ通り(スクンビットソイ63)。まだまだ全然バンコク中心部。

タイ国鉄でよく見かけるこの標識。「ว」は悲鳴やホイッスルを意味する「หวีด」でいわゆる「警笛鳴らせ」。アルファベットでいうところのWなので、英語のWhitsleにも通じるのもおもしろい。

というのはWikipedia先生が教えてくれた。

参考記事

en.wikipedia.org

 

自動の踏切。

大樹の根元にいくつか祀られるサンプラプーム(精霊の祠)。

煙たなびく朝の屋台はガイヤーンかムーピンか。頭上の黄色い花盛りはイエローベルだろうか?

泰日工業大学ってここにあったんだ。Hua Mak駅の手前。

まだバンコク市内だがこの辺りになるとだいぶ住宅の面積にも余裕が見える。空も広い。

警笛鳴らせの「ว」もう一つ。

ホッパ車?のいたフアマーク Hua Mak駅。

Hua Malk駅

結構乗降多し。Hua Mak駅はもとよりエアポートレールリンクの駅もあるし、なんと2022年にはイエローラインというモノレールまで開通していた。知らなかった・・・!!今やシーナカリン通りの頭上にはモノレールの高架が被っているようだ。

チャチュンサオ発バンコク行きと行き違う。この時は気づいていなかったが、この頭上にあるのがモノレールの高架ではないか。

Hua Mak駅を過ぎるとますます広くなる空。

水郷バンコク。

通過したBan Thap Chang駅。大抵の列車は停まるが、今乗っている列車だけ通過した。

現王妃様の肖像。6月は王妃様の誕生月だったようだ。

緑。

もう一つ通過駅、Soi Wat Lan Boon。

モーターウェイから空港方面へ分岐していく道。

ラッカバーン駅。上空をスワンナプームへの着陸機が轟音で通過していくラッカバーン駅に似つかわしい名前のカーパーキングがお隣にあるようだ。

パヤタイからここまでずっと一緒に走ってきたエアポートレールリンクの高架も、空港の方へとカーブして去って行った。

空港までの道には、あのような巨大看板が多い。

賑わいを見せるフアタケー Hua Takhe地区。

次のフアタケー Hua Takhe駅かと思ったら違ったようだ。Phra Chom Klao駅。こんな駅停まったことあったかな。Wikipedia先生に聞くと他の駅のタイトルは「Station」なのにこの駅は「Halt(停留所)」となっていて、扱いが違う?

このオブジェの通り、KMITL(キングモンクット工科大学ラッカバーン校)の最寄り駅となっている。通学生らしき若者が結構下車した。

こちらもキャンパスのようだ。

そして1kmもせず、隣の(私がキングモンクット大学の最寄りだと思っている・いた)フアタケーHua Takhe駅。

結構大きい駅だと思う。

寺院かと思ったら「College of Fine Arts」だそう。文教地区フアタケーを目指しているようだ。

そして、フアタケーを過ぎると車窓は一気に長閑に。高い建物はなくなり、農地や原野が増えていく。

月並みなことを申しますが、私はバンコクから東部や東南部のこの広い大地にインドシナ半島を強く感じるのでした。

そしてバンコク中心部から遠ざかっても、やはり水郷。

ニュータウンだろうか?

セキュリティゲートのあるGatedタウンでGoogleストビューがないが、やはり住宅街のようだ。

この先チャチュンサオまでは6駅あるのだが、この列車はすべて通過だった。コンデジで撮ったので位置情報もなく、今となってはこのホームの端っこはどこの駅かはわからない。

が、どうやらここは廃駅だったようだ。

広大な水田地帯。

農村の佇まい、祠と水瓶。

チャチュンサオ県

Khlong Luang Phaeng駅通過。この駅を出るとすぐ、チャチュンサオ県に入る。

短い動画を撮った。のどかな速度。

無人駅のKlong Udom Chonlajorn駅。Googleで見るとこちら側とは反対側の落書きだらけで悲惨な駅舎の写真がアップされていて胸が痛い。

だいぶ自己責任型の遮断機。

Preng駅はチャチュンサオまでの間では比較的大きな集落にある。

駅の隣のコンクリート製造工場の集積駅にもなっているようだ。

運河に架かる橋。あの橋を渡る暮らしがそこにある。

同じような風景であっても、この車窓を楽しめるのはたった2時間なのだ。飽きずに眺め、撮る。

農地の中の印象的な木立。手前の白い細い旗はなんだろう。

Klong Kwaeng Klan駅。

遮断機のある踏切の横に、タイヤつきの手動の遮断板?が置かれている。

タイの地方のお宅の風景に水瓶は欠かせない。

まさかの電光掲示板設置で驚いたKhlong Bang Phra駅。

ここもおそらく無人駅、Bang Toey駅。

2時間の鉄旅なんてあっという間。次は遂にチャチュンサオ・ジャンクション。

名残惜し過ぎる。このままこの先カビンブリ、国境の町アランヤプラテートまで行けたら・・・なぜ在タイの間に実行しなかったか悔やまれてならない。

列車は市街地に辷り込む。

下車の準備のため席を立った。

チャチュンサオ駅到着。

この列車はこの先Ban Plu Ta Luangが終点らしい。Ban Plu Ta Luangってどこ?と思って調べたらここから東ではなく南へ向かう列車で、パタヤの遥か先サタヒップを目指していた。

チャチュンサオ駅

ディーゼル機関車が重厚な音を響かせていく。

ただ見送るしかない、切ない。

チャチュンサオ駅

トゥクトゥクでバーンマイ百年市場へ

チャチュンサオ。やはり最もお気に入りの場所バーンマイ百年市場を目指すしかない。駅のイラストパネルにも描かれている。

さっき出発を知らせた鐘。

駅員さんのゆるキャラが持っているのはマンゴー?

あちらの食堂や売店は以前と変わらない。

相変わらず使っていなそうな車両が置いてあるのが見える。(以前は駅員さん?整備士さん?が住んでいる様子も見えたものだった。)

帰りはあの窓口でチケットを買うが、今回は往路はバスかロットゥーにするので残念ながらここでお別れ。

駅前には機関車。

以前よりモタサイやトゥクトゥクの客引きが増えた気がする・・・と思いながら駅前の大通りまで歩いていく。(道路の向かい、電線の作業中。久々に竹のハシゴを見て嬉しい。)

ところが、乗るべき「黄色い帯のソンテウ」が全然来ない。他の色の帯(行き先が違う)のソンテウは通って行ったのに・・・。

ソンテウが当時8バーツ(今は10バーツ)なのに対しソンテウは100バーツ。でも暑いし旅人は時間はもったいない。これまで使ったことがなかったトゥクトゥクで行くことにした。100バーツ上等。

記念にごくごく短い動画を撮影。

ソンテウも通る大通りをしばらく走る。逆光眩しっ。

しばらく走るとトゥクトゥクは大通りを外れた。ソンテウとは違う道をバーンマイ百年市場へ向かうようだ。

チャチュンサオの次の小さな小さなPaet Riu駅脇を通過。

しばらく線路と並走した。

もう一度大通りに戻れば、百年市場はすぐそこ。

念願のバーンマイ百年市場再訪

バンコク近郊で、かつて華人移民が集住していた地区のいくつかが往時の姿を留めており、百年市場と呼ばれボーラーン(レトロ)好きなタイ人に人気の観光地となっている。

今回の弾丸旅で訪問できる場所には限りがある。バンコクから遠く離れる余裕はない。この貴重な機会にもう一度行きたいところはと自分に問うと、真っ先に思い浮かんだのがここだった。

数えたら、2016年から2019年の間に8回来ていた・・・。

関連カテゴリー

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

バーンマイ百年市場

赤いトタンに覆われている。

入って突き当たりのあのカフェは毎回寄ってしまう。

この佇まい。

カフェには後で来よう。ひとまず外へ。

第一ねこちゃん発見。

レトロな広告ポスター。

バンパコン川に面した暮らし。

バンパコン川に流れ込む支流。

この支流に架かる橋には、お気に入りの黄色いサンプラプーム。5年でずいぶん色褪せてしまった。

サンプラプーム

マレー語のSalakから来ているサラ(果物)がてんこ盛り。旬のよう。

素朴な店頭。

可愛らしい駄菓子屋さんやおもちゃ屋さん。

復興宮が改装中!デザインも少し変わるようだ。

バーンマイ百年市場の復興宮

以前ここには見上げるような背の高い天地父母牌位が聳えていたのだが、これも小さいものに変えてしまうのかな?

どこかリバービューのお店に入って食事でもと考えている。

プラーニン(ティラピア)だろうか。いつ見ても美味しそう、でもここから持ち帰ることを思うと残念ながら買ったことはない。

干し魚。以前はこんな形状だったかな・・・?

ガチャガチャの前で猫ちゃんスヤスヤ。

この辺りがバーンマイ百年市場の最奥。以前はこの桟橋も自由に踏み込めたが今はちょっと入りづらく、ここで引き返した。

初めて見た時にマンゴスチンの化け物かと思ったルークターン(オウギヤシの実)。どうやらルークターンの蒸しパンか蒸し菓子のよう。

さっきの猫たち、まだのんびり佇んでる。

ワンちゃん。

桑の実かな!?

普通のお宅かと思ったが、廟?祠・・・?

いつも気になっていたハーバルジュースのお店で、バイブアボック(ツボクサ)のジュースを買った。

お弁当も美味しそう。

デザート屋さん。奥の緑のロッチョン(チェンドル)にばかり目が行っているが、手前のはなんだったろう?

支流の橋まで戻って来た。橋のたもとのお店の軒下に魔よけの泰山石敢當と、隣の金色の印はお坊さんがタンブン(ご祈祷)でつけたもの。(家を建てたり新車を買ったりした時にお坊さんに祈祷してもらうとこのような印がつく。)

レトロなポスターと、埃をかぶった赤提灯。

あっ、凄い!バーツบาทも見えるし何かの寄付者リストだろうか。ただ、隣の漢字名の下・・・百みたいな偏に、未のようなでも足は跳ねている。百だからバーツのバーに通じそうだが、中国語でバーツは銖だそうで、未と朱は通じるものがあるが、さて真相は・・・。

とにかくどこを切り取ってもボーラーン。

帆船の模型が。

前の広場にも、大きな模型が。

奥では更なる模型が建造中だった。

その広場には小さな廟がある。

奥の神像の上には「太子爺公」と書いてあり、哪吒のことだそう。

勇ましい獅子たち。

金炉の向こうにサンプラプーム。日本人にも通じるいろいろ宗教混淆だ。

タンブン(放生)。

バンパコン川辺でバミーナーム

一軒の食堂で、バミーがあることを確認の上で着席。

汗を拭いていると、お兄ちゃんが扇風機をこちらへ向けてくれた。

塩味のバミーナーム。バーンマイ百年市場のバミーナームはどこもスープが透き通っている印象。

バーンマイ百年市場のバミーナーム

定番の鶏ちゃんドンブリ。

飲み物はいいやと思ったがやっぱり思い直しコーヒーを頼んだ。だがうっかり甘くないコーヒーを頼んでしまい怪訝な顔をされ、慌ててタマダー(普通)に甘いのをお願いした。

普通に甘い。でもこれだけ暑い中をこれだけ歩いているしまぁいいか(と自分に言い聞かせる)。

バンパコン川を漁船が一艘静かに走っていく。

バンパコン川

川を覗き込むと結構魚がいる。

すばしっこいし水の色と同化しているしでうまく撮れていないが、目の上がネオンのように光って見える。

ごちそうさまでした。神棚を見ながらお店を出る。

ボーラーンなカフェ

すかさず「あの」カフェに入る。今まで店名を確認したことがなかったが、「ร้านกาแฟแป๊ะเอ๊ย 100ปี」というらしい。Google翻訳にお願いしてもいまいちわからないな・・・。แป๊ะเอ๊ยさんの100年珈琲店、かな。

タイの華人系カフェでは中国茶がついてくる。

さっきもコーヒーだったしここはタイティーを・・・と思ったが、ここは珈琲店なのでコーヒーにした。

こんな調度品たちに囲まれドキドキしてしまう。

前王様の写真が飾ってある。お勝手(?)の入り口には神棚。

古い扇風機回る。

古いコカ・コーラの琺瑯看板。ごちそうさまでした。

カフェのそばには、チャチュンサオ出身のアレックス・フェイス Alex Face氏のウォールアート。ライオンダンスの獅子を被っている。

Alex Face アレックス・フェイス氏

7upの古そうなポスター。

前王様ご夫妻の写真、崩御からもう8年近くが経とうとしてもなおプミポン国王の肖像は町のあちこちに。

バーンマイ百年市場、お別れの時。

ソンテウでバスターミナルへ

市場の外に出た。陽射しが刺さる。

向こうに見えるのはチョンブリー方面へ南下していくタイ国鉄の高架。

すぐに黄色い帯のソンテウが通りかかり百年市場前に停車。無事車上の人となった。

先客は買い物の荷物を持ったお母さん一人。最後までこの二人だけだった。

大きな廟の門。百年市場近くには華人廟も多い。彩琼骚という漢字音の名前の他に、北柳という漢字名も持っているチャチュンサオ。

本当はしばらく歩いて廟を見て回りたかったが、暑さにも歳にも負けた。

また一つ、見たかった廟が後ろに過ぎ去っていく。

このようなショップハウスがしばらく続いた。ここを歩けたら楽しいだろうなと思いながら。

バスターミナル到着。記憶の中のソンテオ運賃は8バーツだったが、念のため聞いてみたら10バーツ。バンコク滞在期間中変わらなかった料金がこの5年の間に値上がりしていた。隔世の感。

バスでバンコクへ

確か最後2019年に来た時にはもうバスターミナルも新しくなってしまっていたと思う。前は簡単にわかったバンコク(エカマイ)行きロットゥーカウンターがわからない。インフォメーションで聞いたら案内された14番カウンターはNEXというバス会社だった。

次に出発するバスは12:30。まだ1時間半あるが仕方ない。おまけにBは通路側の席。窓際の席はもう埋まっているのが見えた。

さすがに1時間半は手持無沙汰なので、バスターミナル周辺をうろうろする。

向こうにロットゥーが集まっている。あそこまで行けばロットゥーに乗れたんだろうか。

これが12:30発のバスのようだ。

四面佛の祠・・・だったと思うがちゃんと見ていない。(ガネーシャさんの可能性もあるか。)

タイでよくみる光景、美しいドレスのお供えされた木。タキアンTakian(Hopea Odorata)という木には、ナン・タキアン Nang Ta-khianという女性の姿をした精霊が宿っているのだそう。

関連記事

en.wikipedia.org

 

なお、バナナの木には緑の衣装を来たNang Taniという精霊が宿っているそうだ。

何か食べるには微妙な時間(さっき食べたばかりだし)。コンビニを覗いたりもしながら結局ベンチでのんびり待ち、ようやく乗車時刻。

乗車したものの、通路側の席だしみんなカーテン閉めているし、特筆すべきことのないバンコク行き。

幸い渋滞はなく、エカマイの東バスターミナルまで順調な1時間半のバス移動。

エカマイのバンコク東バスターミナル到着。チャチュンサオやパタヤへ出かけるのはいつもここだった。

エカマイのバンコク東バスターミナル

エカマイ通りのパクソイには無難なタイ料理レストランがあったが、何かになってしまうようですね。

ホームから見えるゲートウェイ。リトル日本なモール。(後で来る。)

プラカノン市場で猫めぐり

下車したのはエカマイの隣プラカノン駅。

すべてのBTS駅にできているんじゃないかという勢いのコンビニ「TURTLE」。

駅からオンヌット方面へ歩いていく。

W DISTRICTはオープンスペースのフードコート。この辺(スクンビット沿い)ではあまりないので重宝し、よく友人たちと来たものだった。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

ラーメン屋さんとつけめん屋さんが並んでいる・・・!

スクンビットソイ71を苦労して(左折車が多くて怖い)渡ると、その先は大通りから引っ込んだところがプラカノン市場になっている。大通りも商店が多い。

InterNationalの電気鍋を激写できました。(Interが写っていない・・・。)

そしてプラカノン市場界隈には猫が多い。

ブタさん貯金箱・・・。

この路地からプラカノン市場へ入る。

ムスリムの衣装。この辺り、タイ南部出身なのか移民かイスラム教徒の住民も多い。(ミャンマー系住民の多いエリアもあって、多彩。)

オッドアイ猫ちゃんに警戒された。

振り返れば駅近くのコンドが聳える。このOLD AND NEWさがバンコクの魅力。

予約済み(のエリア)・・・?

プラカノン運河ちょい覗き

市場の突端、オンヌットとの境目にはプラカノン運河が流れている。

昼寝している人が多かったのであまりお邪魔はしなかったが、以前運河ボート乗り場だったところに乗り場らしきものが見当たらなかったような気がする。少し手前の、この屋根付きのところに移った・・・?以前は時刻表が貼ってあったが。ただ、このボート自体は当時乗った運河ボートそのもの。懐かしい。

プラカノン運河は思い出深い。運河ボートで何度かシーナカリンまで往復した。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

運河沿いに少し先まで。

ここには華人廟があるが、扉は固く閉ざされていた。残念。

聚宝炉。どんな神様が祀られているか確認したかったのだが。

この廟へは以前ロイクラトンの日に覗きに来たことがあった。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

引き返す。

プラカノン市場のにゃんことわんこ

また市場を通って、プラカノン駅へ帰りましょう。

魔除けのお札いっぱいのお宅。

お供え物かな?

わんこに遭遇。今回の旅の間、道端を自由に闊歩するわんこをまったくと言っていいほど見かけなかったのが気になっていたから、遭遇できて嬉しい。

ご近所のお宅の飼い犬だったようだ。ご主人を先導して歩いていた。

寛ぎにゃんこの上目遣い。

プラカノンの猫

暑い午後、あちこちでにゃんこ寛ぐ。

プラカノン市場の猫

この付近には猫が多くて、プラカノン市場へ来れば猫見たさに必ず歩いてしまう辺り。

参考記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

持ち家にゃんこ。

あら、邪魔したね。

午後遅い市場の気怠さ。

猫も道端に行き倒れる。

市場は赤と緑の鮮やかさが好きだ。

思い出の町③バンチャーク

昨日はプンナウイティへ行ったが、お隣バンチャークもまた(多少)思い出のある町だ。プラカノンからBTSで2駅。

芸術的電線の向こうに、駅脇のお宅の魔除けを眺めながら階段を下りる。

駅下のこのカフェアマゾンはバンチャークを離れてからできた。

ソイ97。朝な夕なに歩いた一時期。

バンチャーク

こんな雑貨屋さんあったんだな。このソイも洪水が多くて、どのお宅も嵩上げしている。

向かいの建物。セブンイレブンができただけでも画期的だったが、更にホテルになっていた。

そして一時期住んだアパート。あまり居心地は良くなく、思い入れはあまりない。笑

夕方になると持ち帰り専用の屋台が立つソイ95。まだ日も高く、屋台は準備中。

夜家にいる時はよくここへ来てナムプリックを買っていたものだった。

参考記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

だがソイ95の屋台は持ち帰りばかりなので、お隣のソイ95/1へ行ってみる。

ソイ95/1は持ち帰りの屋台だけではなくいくつか食堂もあった。特にこの中の一軒Krua Bossは英語メニューもあり若旦那も英語で応対してくれるので居心地がよく何度か行った。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

だがまだ時間が早く準備中だった・・・。

仕方ない、河岸を変えよう。

駅から覗くソイ97。何気なく撮っているが、あの赤い車はさっき駐禁を切られていた。

ソイ97の向かいはソイ60/2。全然行ったことなかったな。近所だったがまったくの未知の地区。一度だけパクソイの屋台でチムチュムを食べたことがあったきり。

心なしか緑が多く見えるがチャオプラヤ川まではまだまだ距離がある。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

バンナーの方からやってくる高速道路、その向こうにチャオプラヤ川に架かる橋と高層ビルの多いサトーン地区がかすかに見える。

このソイ60/2に限らずこの辺のソイはどこもパステル調の集合住宅が多い。(集合住宅というか一階部分が商店だったりするので、自分的にはタイ版ショップハウスの認識。)

ゲートウェイ・エカマイにて

エカマイ下車。とても日本的なモール、ゲートウェイへ行く。

ゲートウェイの隣のソイ42はラーマ4世通りからスクンビット通りへの接続路でもあり、慢性渋滞。

ゲートウェイはとにかく日本食レストラン、それも日本のチェーン店が多い。

ローカルな日本食レストランもある。

ツルハドラッグで職場へのちょっとしたお土産を買って外に出たら、サントリーがキャンペーン張ってた。

黒糖大麦烏龍茶を1本いただいた。

トンローでカオソーイ

さすがにゲートウェイでペッパーランチやら食べるわけにもいかなかったのでまた一駅移動しトンロー下車。

昨日は遅すぎて閉まりかけていたスッチマンション下の屋台、今日は開店直後。

ここで一番よく食べたのはカオソーイ。カオソーイ好きなのだが、通勤圏内でそんなにたくさんは見ないためここは重宝した。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

カオソーイ。安定の美味しさだった。

トンローのカオソーイ

この茹でと揚げ二段構えの太い縮れ麺が良い。

暑いし辛いし、水をお願いしたらこの屋台では売っておらず、外のドリンク屋台へ行きシンハーを一本調達した。

懐かしのスッチマンション下の味覚も堪能でき、満足。

プロンポンへ徒歩移動

アソークの宿へ戻り、荷物をピックアップ。

この2日間は特に暑い日だったようだが、日も傾きスクンビットは建物の陰になったので、次の目的地へ歩いて移動することにする。

「エンポリ3」として登場したエムスフィア。

単管バリケードというらしいが、これ。いかにも日本発祥っぽいですよね。と思って今検索したらやっぱり日本の会社が生み出した模様。

単管バリケード

エンポリの隣、ベンチャシリ公園。ここでもロイクラトンを見たものだった。

ビルに囲まれた都会のオアシス。

あれ、餌付け禁止になっている。以前は鳩にエサを与える人もいたし、公園の売店ではカメや魚用のエサも売られていて、ハトがおこぼれに与ろうとしていたものだった。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

エンポリ前通過。

エンポリそばに夕方から出るカオマンガイ屋台は行列ができる。

関連記事

kenanganlama.hatenadiary.jp

 

ソイ26(ソイアーリー)。日本人がよく泊まるホテルもいくつかあるが、日本食屋さん、お姉ちゃんのいるカラオケ屋さんなど、自分の中ではだいぶいかがわし系のソイ。



「秘しょ」じゃないのよ・・・笑

通りすがりのホテルのサンプラプーム。エメラルドで綺麗。

この短い横ソイには居酒屋が多く、何度も来たものだった。

そういえば今回のバンコク行で以前は見なかったもののひとつが緑の「カンナビス(大麻)」のマークだったな。店舗でも屋台でも、あちこちで見た。

旅のおわりの準備

実はこの1週間は夫も出張でタイに来ていた。夫は仕事で来ているし夜も会食があるし(私は自分本位にあちこち歩き回りたいし)特に顔を合わせることはなかったが、帰国便の時間が結構近いので一緒に空港まで行くことにしたのだった。

日本からの出張者御用達のホテル、フォーウィングス。

夫が最後の会食を終えて戻るまでの間ロビーで涼んでいた。

夫はレイトチェックアウトなので、深夜便に備えシャワーを借りた。いいなー眺めのいい部屋。

なんとなく安心感からGrabタクシーを呼んでしまったが、スクンビットのホテルは結構どこも500バーツでタクシーを呼んでくれるので、そちらでもよかったかもしれないな。

ただ、ラマ4世通りからペッブリー通りまで抜け道をとドライバーさんは夕方の渋滞はうまく回避してくれた。

さらばバンコク、次に来られるのはいつだろう。

旅のおわり

まだカウンターも開いていない頃なので、ラストタイ飯・・・といっても疲れているしそんなには要らない。

シンハードラフトのお供に揚げワンタン。

夫はタマネギのカイチアオも頼んだ。

せっかくだからとブアローイで〆。

ココナッツミルクに、パステルなもちもち団子。

ブアローイ

出発階へ。夫の方が1時間ほど出発が早い。

夫を見送り私もpeachのカウンターが開くのを待つ。

手持ち無沙汰で早めに並んだつもりが全然だった。

出国は夫は自動認証ゲートを通ったそうだが、ほんの少し後に自分が通った時は自動ゲートらしきところはカバーがかかり、普通に有人カウンターに誘導された。

久しぶり過ぎる天地創造さんに感動する。

毎月この像を見ていた暮らしがかつてあったなぁ。

夫がTGで帰るのを見送った。

その後peachの待つゲートへ。

待ち遠しかった搭乗時刻。

余談:peachのファストシート(最前列席)はよいぞ

往路の圧迫感がしんどかったため、ネットで最前列の席(ファストシート)に変更しておいたのだった。

存分に体を倒せるよう窓際の席にした。隣の席とはきっちり壁がある。

広さ十分。これなら隣に人が来てもお手洗いに立てる。しかもラッキーなことに3列の残り2席には誰も来なかった。

なお追加料金は6,530円。飛行時間1時間につき1,000円を課金したようなものだが、その価値は十分にあったと思う。またいつか国際線でpeachを利用するなら絶対に最前列窓側を選びたい。

Peachファストシート

ただいま~。

爽やかな関空の朝。

最前列なので降機ももちろん先頭。

ファストシートのメリットもう一つ。バッグも最初に出てくる。

かくして弾丸バンコク旅、終了。あまり自覚はなかったが入国から出国までちょうど2日、賞味2日、実質2日。自分史上最も弾丸旅だったかもしれない。

ただ、5年ぶりのバンコクではとっくに蓋をしてしまっていた記憶の一切合切を呼び起こされ、自分の中でタイへの気持ちが再燃するには十分だった。

入国スタンプ

■Flight:MM92 BKK-KIX

関連カテゴリー

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp

kenanganlama.hatenadiary.jp