あの日、海の向こうで

1日分を1ページに押し込む旅日記。画像大量。

2017年8月6日(日)ロイヤルターフクラブ

曇り空。

午前11時にラチャテウィ駅でTちゃんと待ち合わせ。今日はこの若者に競馬場に連れていっていただく。

・・・の前に途中のKOBE STEAK HOUSEで腹ごしらえ。

ハンバーグ。

ペッチャブリー通りをさらに西へ。線路を渡る。

見えているのはYammarat駅。

競馬場「ロイヤルターフクラブ」到着。競馬場前には競馬雑誌を売る屋台がいっぱい出ている。タイ語ペラペラTちゃんは普通に購入、私は割高な英語版100バーツ。

おばちゃんに「Free」とペンを渡されグッドラックとニッコリされて嬉しくなる。

入場。
【2019.06.20追記】ロイヤルターフクラブは2018年に102年の歴史に幕を下ろしました。
【2021.04.15追記】亡くなった偉大な王様の息子が立派な宮殿をここにお造りになるため接収したんですって。

お馬さんのトラック。
【2021.04.15追記】今の私ならこんな言い方許さないな。「馬運車」です。

50バーツで入場券を買い、入り口で回収された。

日本で競馬場へは行ったことがないので比べられない。場内には飲みの飲屋食べ物を売るお店が出ている。

 

次のレースのジョッキーの発表中。

とりあえず水分補給。ココナッツジュース。

第2レース前。

試しにと買ってみました100バーツ。Tちゃんに競馬雑誌の見方を教わる。Tちゃんはジョッキーの実績も絡めて判断している。

レースが始まると衆人総立ちでどよめきが起こる。

日本では最近は競馬場のイメージも変わり、若者のデートスポットなんかになっているなんて話も聞いたことがあるけれど・・・バンコクでそんなことは一切ない。身だしなみも緩いおじさんばかりだ。(ただしエアコンつきの100バーツの観戦エリアもあるそうで、そちらはまた客層が違うんだろうな。)

でもレースを見守るどよめきと贔屓の馬の名前を呼ぶ自然発生の合唱はなんだかいいな。

次のパドック。電光掲示板にはジョッキー名の発表、さらにオッズの発表があり、馬券購入を煽るアナウンスが「あと5分!」と叫んでいる。たまに時間が巻き戻る。
【2021.04.15追記】パドックじゃなくて返し馬かな?それともここでパドックもしていたかな?うろ覚えの競馬初心者。

第3レースも買ってみた。

馬券売り場では第何レースの何番をWIN/PLACEでいくら、というメモを渡すと間違いない。こういう基礎をTちゃんに教わった。馬券売り場の人はみんな優しい。ニッコリ微笑んでグッドラックと言ってくれる。

私は第2第3レースとも複勝(PLACE)でしかも安パイな馬を選んだにも関わらず負けた。

ちょっと休憩。売店を冷やかす。

コームーヤーン的なのとビールを買って平らげた。

裏側に回ると厩舎が見える。

そのまま最上階へ来てみた。見晴らしはいいけれど電光掲示板が見えない。

なお、コースの中はゴルフ場になっている。

この時私は手を滑らせて競馬雑誌を階下に落としてしまった・・・。Tちゃんが拾った人を見つけて、一緒に来てくれた。強面のおじさんだったけれど快く返してくれた。中を開くとレースの結果がメモしてあった。なぜ・・・?(おじさんも自分のを持っていた。)
ただ、英語版はあんまり見かけないせいもあってか、中に書いてある予想を何人かの人に見せてくれと言われた。

そのまま一階でレースを見守る。ガチなTちゃんの邪魔にならないよう大人しくしていた。

「FUJIBISHI」だって。初めて見た。

階段状になっている観覧席は時間が経つにつれてポイ捨てのゴミや吸い殻で座る場所がなくなってくる。実にばっちい。女性の参戦はオススメしない。

ふと、出走ゲートに「JRA」という表示があるのに気づいた。

こんな雑然とした空間だけれど、この競馬場はとっても歴史があり由緒正しい。

 こちらのウェブサイトにロイヤルターフクラブの歴史が紹介されていた。

参考記事

www.jairs.jp

戦い終わって日が暮れて。

換金タイム。400バーツ賭けて150バーツ戻ってきましたとさ。

これだけの人数が一気に出ていくため周囲は大渋滞。

近くに小さなコースがあり、ポニーのような馬に子供が乗っていた。

あら珍しい、踏切が下りる。

あっちにも一本、通過待ちかな。

帰りにターミナル21に寄って野菜を買って帰る。老舗ティースタンドのCha Tra Mue、タイティーソフトを売り出す。

今回は行列が長くて諦めた。また今度。