2026年2月28日(土)①
ノブリオンホテル名物アワビのお粥
浦項のモーテル村、おはようございます。

ノブリオンホテルの口コミで、無料の朝食では전복죽(アワビのお粥)が選べることを知った。ロビーに降りていくとフロントのお姉さんに「ジョンボッジュッ?」と聞かれた。
朝食はロビー脇でいただく。モーテルの林立するエリアにいるとは思えない明るいロビー。



アワビ粥の他にトーストやカップラーメンもいただける。カップラーメンを食べているお客さんも結構いた。さすが韓国、1人当たりのインスタント麺消費量世界トップクラス。

アワビ粥。もちろん温めるだけのものだろうけど、ユニークでいいじゃないですか。

いつまでもゆっくりしていたいがそうもいかない。弾丸旅人は忙しい。

部屋に戻りテレビをつけたら昨晩に続きまたもや国民のMCユ・ジェソクさんの番組にまたもやユ・ヨンソクと名優ラ・ミランさんがゲスト。自分はそんなに韓ドラ視聴数も視聴歴もないのにテレビをつければ誰か知ってる俳優さんを見かける。無限に思える韓国の芸能界は案外狭そうだ。

リュックを背負いチェックアウト。キーボックスがエレベーターの中にあった。

居心地のよかったノブリオンホテル。東横イン泊専門の自分、東横インのない町で良いホテルを選べてよかった。

冬枯れのモーテル村を後にする。

外は寒い。

900番バスで九龍浦を目指す
朝のモーテル村の脇を通りバス停へ。


市外バスターミナルのすぐ前にあるローカルバス停で九龍浦行きのバスを待つ。

市外バスターミナルから九龍浦までは900番が一日中往復していてとてもアクセスが良い。
あと何分で何番が来るかわかってとても便利。バス接近のアナウンスもある。

ベンチに腰掛けたら、なんとベンチが温かかった。さすがオンドルの国。

しかもこのベンチの端・・・充電できたりする?

バスは次々やってくる。停まった場所で乗らねばならない。

無事900番バス乗車成功。

希望大路(ヒマンデロ)を西へ。

ポスコを中心とした広大な工業地帯を突っ切る東海岸路(ドンヘアンロ)。昨日慶州でバスから見た兄山江(ヒョンサンガン)を渡る。

コンビナート群。何かタワーも見える。

このタワーはポスコの施設らしい。地図に名前はない。

Green & Clean posco。

「資源는有限、創意는無限」は有名なポスコのスローガン。

カラフルな建屋。業種の堅いイメージに抗う。

Green & Clean POSCOのゲート再び。



900番バスは大通りを一瞬逸れて浦項慶州空港の前を一周した。国内線のみの空港で軍民共用らしい。(なのでターミナル内の撮影は制限されているそうだ。)

空港近くの集落は潮風にさらされた感。この向こうには海水浴場などあるようだった。

ここから海辺の九龍浦へは山越えがある。この道は有料道路ではなかったようだが歩行者や自転車をまったく見ない規格高そうな道だった。片側二車線で快適。市街地から遠い地域でも道は広いしバスは頻繁に走るし、交通インフラは整っている印象。
ちょくちょくバス停もあり、そのたびに側道で下道に降り、また上がる。


斜面に見えるのはお墓だろうか?史跡だろうか。

国道を下りた。

あれは史跡だった。

何か碑文を後で読もうと思って撮ったがちゃんとは見えなかった。〇〇張氏の墓城と書いてあったので、名士の一族の墓所的な?

そしてバスは九龍浦の市街地へと入って行った。さっそくカニのオブジェ。

長閑な漁村かと思ったが案外大きな町だった。日本にもそんな町があるが、山地に阻まれているし昔は浦項市の一部ではなく独立した町だったのではないかと思わせる賑わい。


カニの看板。

道の反対側は漁港。

こうして市外バスターミナルから1時間15分で九龍浦日本人家屋通りバス停に到着。900番バスはここで折り返しまた浦項に戻り頻繁に往復しているので便利便利。

九龍浦日本人家屋通りを歩く(東半分)
広いのに信号のない道路を他の人について渡り、日本人家屋通りの入り口へ。

立派な門が出迎えてくれる。正面玄関ではあるがここは日本人家屋通りのちょうど真ん中辺りにあたる。9:15、散策開始。

門をくぐってすぐ壁一面の案内図があった。
ここ九龍浦は1883年に締結された「朝日通商章程」以降、1900年初頭に香川や岡山など瀬戸内海沿岸から渡ってきた日本人漁民が定住しできた町なのだそう。
以下、後ほどいただいたパンフレットの説明から抜粋して引用。
・九匹の龍が昇天したと伝わる九龍浦。
・1906年、香川県の漁業組合である「小田組」の約80隻がサバなどの魚を追って辿り着いたのが始まり。
・九龍浦の日本人居住者は1932年には287世帯1.161人となる。
・船舶・鮮魚運搬・缶詰の加工工場などで富を築いた日本人を中心に街は繁盛していった。


韓国語と英語だけの看板の中にポツンと日本語が。それも「自分探しの旅」なんて最近の日本カルチャーに対する解像度が高い。

「海もきれい」。なんともいえない可愛らしいイラストだった。

「浦項九龍浦クァメギ文化館」の看板。昨日いただいたクァメギはここ九龍浦の名産なのだった。3日分を詰めたリュックを背負っていたので高台にある文化館に行くのはしんどそうで断念したが、今思えば行っておけばよかった。根性も執着もないので人生だいたい損している。

九龍浦キャットに遭遇。人懐っこくて寄ってきた。


まだこの時間観光客はほとんどおらず、茶トラ独り占め。

入りたそうだ。

この出窓になっている土台部分、古い建物のままではないだろうか。お洒落なカフェらしかった。

その猫ちゃんポイントからまずは東の方へ歩いていくことに。

海近い港町らしく板壁のお宅も多い。

100年以上前の建物がそのまま残っている例はもう少ないようだが、韓国の他の町とはちょっと違う風情の漂う通りだった。

途中にあった休憩所のようなスペースの壁に、古地図を利用した大きなマップが貼ってあった。

当時の様子が克明に窺える。高等尋常小学校に醫院、寺院。写真もちりばめられている。この学校で学んだ子たちはその後どうしただろう。終戦と同時に引き揚げたのだろうが、今はどこにおられるだろうか。


十河さんという香川らしい苗字も見える。


この建物も一般的に見られる住宅とも伝統的な韓屋とも違い、だいぶ手は加わっているが往時の面影はある。

かつての姿の写真が添えられている。

このお店はどうやら駄菓子屋さん。


元は「中華布木店」だとある。

さらに先へ。

この通りの東の端に近いところにあるのは「九龍浦近代歴史館」。見るからにこれは日本的な建物だ。

説明板より。
1920年代、日本の香川県から移住してきた橋本善吉の2階建ての木造家屋である。日本の敗戦後、個人の住宅として利用されていたものを浦項市が買い入れて修理し、「九龍浦近代歴史館」として使用している。建物の内部は百年前の姿がそのまま残されていて、当時の生活の様子を示す様々な資料が展示されている。建物は日本の建物の構造や意匠の特徴を如実に示しているので、多くの人々の関心を集めている。
オープンは10時からだったのでまだ中は見られず。後でまた来ることにする。


引き返す。

「九龍浦近代文化歴史通り」の蓋。


現代風になってしまったお宅にもかつてそこにあった建物の写真。それにしてもよくたくさんの写真が残っているものだ。


九龍浦はワカメの名産地でもある。

さっき猫を見たところの粉食屋さんは観光客が入れ替わり立ち替わり。

こちらのお店は「おでん」の赤提灯。

かつては増田薬店さんだったそうだ。

高台から見下ろす九龍浦漁港
バスを降りて最初にくぐった門からはそのまま石段が高台に続いている。
観光客が到着し始めており、この時はまだ全容は撮らずただ息を切らし上がっていった。日本の玉垣のようにお名前が石柱に刻まれている。元は実際に日本人の名前が刻まれていた玉垣だったらしい。日本人の引き揚げ後その名前は削られてしまったそうだが、近年石柱は戻され、新たにこの高台の上にある「忠魂閣」への寄付者の名前が刻まれたそうだ。(という説明板あり。)

そもそも九龍浦の存在を初めて知ったのは「椿の花の咲く頃」というドラマだった。でも石段の途中で九龍浦含む半島の辺り一帯には別のドラマ「砂の上にも花は咲く」のロケ地があることも紹介されていた。それどころか地図には「海街チャチャチャ」のロゴまで描いてある。海街チャチャチャは自分が最初に見た韓国ドラマの一つで当時は韓国のことを全然知らなかったためロケ地がどこかなんて考えたことがなかった。ドラマ見直さないと。

階段を昇ったところに「椿の花の咲く頃」の案内板もあった。

ガードレールに魚の装飾。やっぱりクァメギのサンマかな?

この高台はかつての九龍浦神社の跡地だそうだ。
忠魂塔とある。碑文は大韓民国は国家主権の回復のため日本の帝国主義に抵抗し、民主主義を守るために犠牲となった人々の犠牲と愛国の精神のもとに建国されたそうだ。この碑文だけ日本語訳がなかったのはある種の配慮かな・・・

大きな台座様の構造物。
この構造物の裏には昭和という年号が、前の基壇部には「帝国在郷軍人会」という字が記されていることから日本の強占期に設置されたものと考えられる
とあるので、元がなんだったのかはわからないようだ。その後旧忠魂塔の台座となっていたとのこと。

2008年現在、龍王堂を新築するために従来の建物を撤去する過程で大正2年(1913)と刻まれた礎石と、神社を参拝する前に手を洗う手水舎が発見された。また、砲弾の形をした石のかけらが発見されたが、日本人が出征の前に勝利を祈って祀ったものであるという。龍王堂の新築後、現在の場所に移転された。

忠魂閣。朝鮮戦争(碑文には「韓国戦争」とある)の戦死者を慰霊するため1960年に建てられた。浦項出身の235名の戦没者の位牌が安置されているそうだ。

そしてこちらが龍王堂。九龍浦の漁民の豊漁と安全を祈願して建てられたお堂。一般的に龍王堂には女神の「龍神ばあさん」や「龍王婦人」が祀られるのだが、ここ九龍浦の龍王堂には男神の「四海龍王」が祀られているのが特徴的である、とあった。

旧境内を見渡し、改めて視線を海へ。

日本人家屋通りの、先ほど歩いたのとは反対側の方。後であちら側へも行ってみる。




漁港の向こうに、あれはタワマン?いやそりゃ眺めは良かろうが・・・立地が凄いね。

石段から見下ろす。

さっき歩いた日本人家屋通りの東側。

福の字の飾り瓦。

九龍浦日本人家屋通りを歩く(西半分)
さて、階段を降りさっきとは反対側を歩くことにする。
この建物はかなり新し目の日本風にデザインされた家屋。以前仁川の旧日本人街で見た建物もこういう切妻+白壁+板壁デザインの傾向があった。

こちらの建物、写真には「御料理一心亭 主 島田貞次」とあった。上部に出窓がある日本のかつての料理旅館に似たデザイン。



建物の間に唐突に現れたTHE日本。丸ポストに鹿威しに石灯籠とは・・・なんともいじらしい。

こちらは年季の入っていそうな建物。


ここもだいぶ新しいが、かつては「文房具 化粧品店」だったそうだ。


この写真は一体・・・?ロケにしてはリアル、でもリアルにしては手前の男女の構図が劇画のよう。


こちら側の通りは「椿の花の咲く頃」推しが強い。

そしてこちらが「椿の花の咲く頃」のメインロケ地、ヒロインのドンベク(コン・ヒョジン)が経営していたスナック「カメリア」。劇中の店名そのままに今はカフェとなっているそうだ。
後でもらったパンフで知ったが、ここは1938年に建てられた旧「デドゥン旅館」で、かつては『九龍浦を訪れる人は誰しも泊まりたいと思うほど設備の整った』旅館だったそうだ。

このサムネイルの背景がカメリア。
お店の前にもドンベク。

なおも先へ。

こちらもドンベク(椿)の名を冠したカフェだった。プレートには「友助理髪店」とあった。

その先だんだん日本人家屋通り味は薄れ現代の民家になっていくが、軒下にプレートは貼ってあった。「石原為吉商店」なんて本当に往時を偲ぶ店名だ。

小さな商店前にあった「味このみ」と「あずき最中」。


可愛い美容院サイン。

とても今風の店舗だけれど、壁には古い写真。

「料理屋錦翠亭 主 今井ヨリ」と書いてあった。


「布源四郎 請負工場」。



孫さんという先生の醫院。この通り沿いに住むのは日本人だけではなかったようだ。

そろそろ通りは終わる。



九龍浦市場へ
九龍浦日本人家屋通りを出て、さらに西へ。

古めかしいフジカラーの看板も架かる長屋の商店の裏手に岩山が聳えている。



通りを挟んで、岩。「九龍浦石門」というかつての門の一部で史跡だそうだ。九龍浦石門は1,400年代に10kmにもわたり石を積み柵として馬を飼育していた国営牧場の門だとのこと。
